南極点 あつ森。 南極で観測史上初めて最高気温が20℃を突破

温暖化で南極の海氷が減った結果、すくすく育ったペンギンがいる模様(Gizmodo Japan)

南極点 あつ森

2017年11月中旬から、日本人初となる南極点の無補給単独徒歩で到達を目指す、冒険家の荻田泰永(おぎた やすなが)氏。 南極上陸後に約50日間をかけて、約1100kmもの距離を100kg以上のソリを引きながら歩き続ける予定なのだそうだ。 その彼が、南極冒険中にTwitterでお悩み相談を実施する。 ハッシュタグ「 南極お悩み相談」をつけてTwitterに投稿すると、 南極を歩き続ける荻田氏が相談に答えてくれるかもしれないぞ! ・11月18日に始まる 荻田氏は11月10日、羽田空港から経由地のチリ・プンタアレナスへと旅立った。 この地でさらに準備を整えて、11月15日に南極大陸へと向かう。 そして18日頃をめどに「ヘラクレス入り江」から冒険をスタートさせるのだ。 ・南極点を目指して、ひとり歩く 冒険が始まれば、やることはひとつ。 ひたすら歩くのみである。 南極点までの道のりは常に登り坂なのだそうだが、毎日12時間歩く。 分厚い氷床が覆う山道を、とにかく歩き続けるのだ。 とはいえ、誰ひとりいない雪原を歩くのは至難のわざ。 そこでTwitterに寄せられたお悩み相談に答えることで、日々の単調な営みの励みにしたいとのことである。 ・相談の方法 相談は、荻田氏のTwitter( )をフォローして、「 南極お悩み相談」をつけて投稿。 その相談内容を冒険事務局が確認して、南極の荻田氏に衛星電話で伝えることになる。 回答は当サイトで順次紹介させて頂く予定だ。 極限に挑む極地冒険家は、寄せられた相談にどんな答えを示してくれるのだろうか? いずれにしても、いよいよ冒険スタート! 日本人初の南極無補給単独徒歩。 無事に踏破できることを願うばかり。 がんばれ荻田泰永! あなたなら、日本人初の挑戦を、必ず達成できる!! 協力: 執筆: Photo:RocketNews24.

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南極点 あつ森

のにあり、に囲まれたに位置する。 5番目に大きな大陸であり約1400万km 2のは、のほぼ2倍に相当する。 00325kmに及ぶ。 南極大陸は、平均が最も低く、し、強風に晒され、また平均も最も高い大陸である。 年間量が部分で200mm、ではさらに少ないと考えられる。 南極大陸で観測された最低気温は、7月に記録した-97. この気温では人間が定住することは難しいが、約1000-5000人が大陸中に点在するに年間を通して滞在している。 自然状態では、寒冷な環境に適応可能な生物のみが生存し、多くの、・や・・などの類、、、およびが繁殖している。 はである。 かつて、「南の地」を意味する Terra Australis という大陸が空想されていた南極域に、公式に大陸が存在する事が確認されたのは1820年にの探検家と ()がボストーク号とミールヌイ号で行った遠征に端を発する。 しかし、厳しい自然環境や、当時はが見つからなかった事、そして孤立的な地理条件から、19世紀中はほとんど注目されなかった。 1959年、12ヶ国ので始まったは、その後加盟国が49にまで増えた。 条約は、軍事的活動や鉱物採掘、核爆発や核廃棄物の発生、各によるの主張を禁止し、科学的研究の支援ととしての保護を定めた。 多くの国から派遣された科学者たちが、研究や実験を行っている。 これは、氷床がすべて除かれ、その圧力からの解放による地盤の上昇と海面の上昇を計算した南極の地図である。 この地図は氷床の形成を阻むほど温暖だった3,500万年前の南極大陸の状態を示唆するものである。 約2億年前、南極大陸はの一部であった。 1億8000万年前頃からゴンドワナは徐々に分裂し 、南極大陸の現在の形は約2500万年前に形成された。 南極大陸は常に寒冷で渇き氷に覆われていた訳ではなく、大陸は現在よりもはるかにに位置し、またはの気候であった時期が長く、当時はで覆われ 多様な生物が生きていた。 古生代(5億4000万—2億5000万年前) [ ] にゴンドワナは穏やかな気候にあり、現在の西南極に相当する地域はに位置した。 この時期、やまたはの堆積が進行した。 東南極に相当する地域は上にあり、熱帯の海にはやなどが繁殖していた。 初期(4億1600万年前)ゴンドワナは南へ移動を始め、当時の陸上植物の化石を分析した結果から、気候は寒冷になっていったことが分かった。 やが堆積し、今日の、、の地層を形成した。 デボン紀末(3億6000万年前)には ()が始まり、南極大陸部分は南極点を中心とする位置まで移動し、気温は低下したが、植物は ()として生き残っていた。 には湿地帯に繁殖するのような系の植物が優勢になり、後に南極横断山脈の石炭層を形成した。 ペルム紀の終わり頃までは、地球温暖化の影響からゴンドワナは暖かく乾燥した状態が保たれていた。 中生代(2億5000万—6500万年前) [ ] 温暖な環境の中、極氷冠は溶けた状態にあり、ゴンドワナ系の大陸では砂漠化が進んでいた。 東南極ではが繁殖し、この頃には砂岩や頁岩の堆積が大量に進んだ。 後ペルム紀から初期にはなど哺乳類型爬虫類として知られるが繁殖した。 (2億600万-1億4600万年前)には南極半島形成や島々の隆起が始まった。 この頃にはの木やが旺盛に繁殖した。 西南極ではの森が形成されていたが、(1億4600万-6500万年前)の終わり頃にはが優勢になりつつあった。 が周辺海域で一般的な生物であった。 も棲息していたが、知られているものは3に留まっている。 ()からは、()と (、)および ()が見つかっている。 ゴンドワナ大陸の分裂(1億6000万-2300万年) [ ] 1億6000万年前にが南極大陸と分離し、白亜紀の初期(1億2500万年前頃)にも離れた。 6500万年前頃には、と分かれていなかった南極大陸は熱帯もしくは亜熱帯気候にあり、中心のを持っていた。 約4000万年前、オーストラリアとが分離し、南極大陸が独立した。 そしてこの頃から最初の氷が形成され始めた。 約3400万年前の ()を過ぎる頃、の濃度はそれ以前から数百ppm下がった約760ppmになった。 2300万年前後には南アメリカ大陸との陸峡が切れてが開かれ、その結果が生じて南極大陸は完全に孤立した。 二酸化炭素の減少は環境変化に大きく影響し 、森林に取って替わって氷が大陸に広がり始めた。 約1500万年以降、大陸は氷で閉ざされている。 新第三紀(2300万年-5000年前) [ ] 1986年、の古生物学者ピーター・ウェブのチームは、南極点から640kmの地点に、300万年前に繁殖していた大規模な温帯森林の痕跡を発見した。 探検の歴史 [ ] メルカトルによる世界地図 北半球の大陸(ヨーロッパ・アジア・北アフリカ)と地球規模のバランスを取る大陸が南の果てにあるという考えは、が「世界の陸塊にはがある」と示した通り、2世紀頃には存在した。 この概念は、南アメリカやオーストラリアの発見を経た17世紀末に至ってもなお、これらの面積が釣り合わないことから依然として残っていた。 が1569年に出版した世界初の世界地図には「」(未知の南の国)という、からまでを含めた巨大な大陸が書かれている。 船乗りたちの興味は、この架空かつ未知の大陸へ向けられるようになり、、、、そしてなどが南海を何回も探検した。 前述の仮想上の陸地は、クック船長率いる号と号が1773年1月17日と12月そして1774年12月にのを突っ切るまで、ヨーロッパの世界地図に痕跡を残していた。 1773年1月、クック一行は南極大陸沿岸から約121kmまで近づいたが 、結局は陸地を発見できなかった。 それでもクックはテーブル型氷山が多いことから陸地は存在するだろうと推測していた。 そして その地は南緯60度より高緯度にあり、小さく氷雪に覆われた不毛の地で、人類に対し何の富ももたらさないだろう。 と記している。 この時の3隻の船それぞれに乗り組んでいた者たちが、南極大陸の第一発見者といえる。 到達と探検 [ ] 様々な機関(例えば 、 、 など )は、南極大陸上陸は3人の船長が率いた船によって成されたという。 1820年に出身の ()船長のファビアン・ゴットリープ・フォン・ベリングスハウゼンと、出身の船長 ()、そしての ()師 ()である。 ベリングスハウゼンは1820年1月27日に南極大陸を視認し、その3日後にブランスフィールドが上陸を果たした。 パーマーの上陸は同年11月である。 ボストーク号とミールヌイ号に乗るベリングスハウゼンとミハイル・ラザレフの遠征では、南極大陸沿岸から32km以内まで到達し、そこで彼らは氷に閉ざされた地を目にした。 記録された最初の上陸は、1821年2月7日にアメリカ人アザラシ猟師 ()と言われる。 1840年1月22日、西岸を発見した2日後、3年前からの冒険に同行していたメンバーらが、の ()沖約4kmにある ()内の最も標高が高い小島に上陸した。 ここで彼らはや藻類および動物のサンプルを得た。 1839年12月には、が実施した1838-42年のの調査("Ex. ",または"the Wilkes Expedition"とも呼ばれる)がオーストラリアのシドニーから出発し、南氷洋を渡って翌年1月25日には西岸を発見した。 当時、この場所はと命名された。 探検家は、1841年に現在と呼ばれる海域を通過し、を発見した。 これらには彼の姓が冠された。 彼が淵に沿って航行した巨大な氷の壁はと呼ばれる。 とは、それぞれ彼の一行が乗っていた2隻の船( ()と ())に由来する。 1853年1月26日にはがに到達した。 「」および「」を参照 ノルウェー人探検家の隊がを出発しから ()を遡上するルートで南極点を目指し、1911年12月14日に彼らは到達を成し遂げた。 の一行が南極点に到達したのは、彼らに遅れる事1ヶ月だった。 1930年代から40年代にかけて、はによる南極飛行を数度行った。 彼は、南極大陸の通行手段を確立し、大規模な地質学的および生物学的調査を実施したことで知られる。 しかし、1956年10月31日に ()率いるアメリカ海軍のグループが航空機で南極点に降り立つまで、訪れる者はいない空白期間があった。 単独で南極大陸に到達した初めての人物はニュージーランド人の ()であり、彼は「アイス・バード」と名づけた10mサイズの鉄製でこれを成し遂げた。 地理 [ ] 南極大陸の地図 南極大陸は、南極点の周囲に非対称的に広がり、おおむね南極圏の南側に位置する世界最南の大陸である。 周囲をが取り囲んでいる。 あるいは・・の南端、もしくはの南端が取り囲んでいるとも言える。 面積は1400万km 2 で大陸としては5番目に当り、ヨーロッパ大陸の1. 3倍に相当する。 最高峰はにある海抜4,892mのである。 海岸線17,968km は、以下の表で示される通り、ほとんどが氷で閉ざされている。 6km以上に達する。 もし全ての氷が解けると、海水面は約60m上昇する。 内陸の量は年間20mm以下と非常に少ない。 ()と呼ばれる特徴的な地域は、降水量よりもによって失われる水の量の方が多い場所である。 衛星画像 西南極と東南極 [ ] 南極大陸は、ロス海と岸を繋いだで二分される。 ウェッデル海西側とロス海東側に挟まれたにある地域は West Antarctica と呼ばれ、残りのにある地域は East Antarctica と呼ばれる。 この東西の呼び分けは、それぞれがに対しておおよそ西と東にある事を理由とする便宜上のものである。 西南極はで覆われている。 この氷床はわずかながらも崩壊する可能性が指摘され、注目を集めている。 もし崩壊すれば数世紀単位で起こる緩やかなものながら、何メートルかのに繋がると考えられる。 東南極は南極横断山脈から見てインド洋側にあり、中には、、、、、が広がる。 ほとんどの領域はにある。 そして、広い面積をで覆われている。 南極の火山 [ ] ロス島の活火山、エレバス山 南極大陸や周辺諸島には多くの山々や火山帯がある。 火山帯は2つあり、マクマード入江付近のものと付近のものである。 この内マクマード入江の火山群はホットスポットであり 、サウスシェトランド諸島の火山群はプレートの沈み込み口である。 ロス島のは世界で最も南にある であり、マクマード入江の火山群に含まれる。 南極にあるもう一つの活火山はサウスシェトランド諸島のであり、1970年に噴火を起こし、その後もや小規模な噴火が確認され、今後も噴火の可能性がある。 の中にも再噴火の可能性は否定できないものがある。 2004年、で海底火山がアメリカとカナダの研究チームにより確認された。 最近の研究でも、この無名の火山が活動している可能性を示す証拠が見つかった。 0 50 8. 0 46. 4 3. 6 38. 5 0. 5 32. 9 2. 7 30. 5 27. 6 30. 9 7. 3 45. 1 9. 4 48. 9 10. 0 35. 5 31. 3 24. 6 18. 7 12. 1 10. 1 6. 8 3. 9 5. 8 12. 0 24. 8 1. 6 18. 7 30. 9 26. 5 20. 1 13. 5 7. 2 4. 3 0. 5 7. 8 19. 6 29. 4 13. 7 25. 5 22. 2 15. 0 8. 6 2. 4 13. 6 23. 7 7. 6 9. 9 8. 0 14. 2 19. 3 20. 1 18. 5 17. 2 18. 9 19. 3 18. 2 20. 2 13. 9 10. 7 200. 7 203. 2 120. 1 58. 0 17. 7 0. 0 4. 8 64. 1 136. 5 191. 0 316. 0 434. 6 1,925. 9 出典: 平均値:1981年-2010年、極値:1957年-現在 ()がある ()の雪原。 大陸のほとんどにこの風景が広がる 南極大陸は上で最も寒い場所である。 また、には付近のにおいて、地表面温度が-93. 東南極は西南極よりも標高が高いため、より寒冷である。 南極が北極よりも寒い理由は、• 標高がほとんど海抜3000メートル以上であること。 北極には北極海があり、海洋は相対的に暖かいので、浮氷を通してそれが伝わるため。 の2つが挙げられ、北極は南極の地表のように極端な状態になることがない。 高緯度にあることから、であったりである状態が発生する。 夏の晴天時には一日中太陽が沈まないため、の照射量は南極点の方が同時期の赤道上よりも多い。 南極大陸における最高気温の記録は、に南極半島北端のアルゼンチン管轄ので観測された17. 上空のが破壊され、真っ白な雪に覆われた大地は、降り注ぐのほとんどを反射し、しばしば日焼けが健康問題にもなる。 南極大陸は降水量が非常に少ない、「凍りついた砂漠」と言える。 南極点における年間降水量は平均100ミリメートル未満である。 中心部の冷たく乾いた環境ゆえに、が大陸にかかることは稀である。 大陸中心部の降水は少ないが、氷が非常に長い期間解けずに残存する。 大陸沿岸部はが吹き降ろす強いに晒され、時に嵐にもなる。 それに対し内陸部の風速は特に強いものではない。 南極点付近の夜空には南極光とも呼ばれるが見られる。 これはのプラズマが地球の大気を通過することで発生する光学現象である。 他の珍しい現象には、太陽光の異常屈折がもたらすや 、(ダイヤモンドダスト)という、細かなが降ることがある。 これは通常、晴天か晴天に近い時に発生するため、しばしば天気雨の一種と考えられている。 またそれに伴うが現れることもある。 は、太陽の脇に別に光点が見られるものであり、大気中で起こるの一種である。 人口 [ ] のセレモニアル・ポール 南極大陸には永住している者はいない。 しかし多くの国が恒常的な研究所(基地)を大陸上に設置している。 そこではたくさんの人々が科学的研究関連の業務に従事し、周辺諸島を加えると冬には約1000人、夏には約5000人程が常駐している。 多くの基地には1年を通じて滞在し越冬する者がいる。 ロシアのには、2004年にのが置かれ、年度交替で1-2人の聖職者が常駐している。 南極大陸の周囲を含む内で初めて半恒常的に居住した人々は、1786年から1年以上の期間をで過ごしたアザラシ猟師のイギリス人やアメリカ人であった。 1966年までのが行われていた時代、この島には夏に1000人以上、最盛期には2000人以上が住み、冬にも200人程度が残っていた。 この頃に住んだ人々はノルウェー人だったが、イギリス人の比率も増えつつあった。 定住地は、、 ()、 ()、 ()、 ()、 ()、 ()などがあった。 捕鯨基地の長官や上級役人たちはしばしば家族とともにこれらの地に住んだ。 彼らの中にはグリトビケンの設立者であり、1910年には家族とともにイギリスの市民権を得た捕鯨者で冒険家の ()がいた。 南極収束線の内側で誕生した初の人物は、1913年10月8日にグリトビケンで生まれたノルウェー国籍の女性 ()である。 (南極条約によって定められた大陸境界)の内側では、1978年に南極半島先端のエスペランサ基地で 誕生したのになる。 大陸本土では、1984年に家族で居住する設備を備えていたで生まれたJuan Pablo Camachoである。 火災について ロス海の 南極大陸に生きる陸生は非常に少ない。 無脊椎動物では、 () など5種類の 、、、、、、などがいる。 体長6mmにもならない飛べない ()のは、南極大陸に広く分布する固有種である。 は、南極大陸でもっぱら繁殖活動を行う3種の鳥のひとつである。 植物プランクトンを餌とする海洋生物は多様に存在する。 南極には、、、、、、などが棲息している。 亜南極域を含めると、ペンギンは・・(オウサマペンギン)・など8種類が棲息している。 18-19世紀にはアメリカやイギリスの狩猟者によって、 ()が乱獲された。 イギリスのアザラシ狩猟者でありウェッデル海へ遠征した ()から名を取った ()を始め、南極には、、、の5種類がいる。 大規模な群れをつくるは、南氷洋におけるのであり、アザラシ、イカ、、ペンギン、など鳥類にとって重要な餌となる。 500人規模の研究者が投入された海洋生物に対する調査が ()に行われ、結果が2010年に纏められた。 この研究は () CoML の一環であり、有意義な報告を含んでいた。 12000kmの隔たりを持つ南北両極には250種以上の生物が存在する。 クジラや鳥など、大型の生物は周遊を行う。 驚くべき事には、蠕虫やまた遊泳するカタツムリなどが両極海洋部で発見された。 このような分布状況が生じた要因は複数考えられる。 このが卵や幼虫を運んだという考えもある。 南極大陸には、系の菌類が約400種生息している 凍りつく気温、痩せた、乾燥、光量の不足などの厳しい条件下では、南極大陸で繁殖できる植物は非常に限られてくる。 地表に生えるやを含む以外では、約100種のや25種のなどが大陸に広く分布し、顕花植物に至っては南極半島で見られるとの2種類しか存在しない。 成長する季節は夏のみ、期間は長くとも2-3週間に限られる。 菌類は1150種が確認され、400種が地衣類、750種がそれ以外である。 中には、厳しい環境に対応した ()の種もいる。 藻類も数百種存在するが、ほとんどはである。 夏の期間、さまざまなやが沿岸水域で豊富に繁殖する。 近年、氷河の下になる深いところから、古代生態系に属する複数のバクテリアが生きた状態で発見された。 の集団はほとんどがで占められている。 保護 [ ] ベリングスハウゼン基地、1992年。 写真のような投棄や廃棄は、古くなった乗り物も含めて、1998年の環境保護に関する南極条約議定書発行以降禁止されている (マドリッド協定書)が1998年に発効され、南極の生物多様性の保護と管理に関する主要な手段となった。 南極条約協議会は、環境保全委員会から環境や保護に関する勧告を受ける。 委員会は特に、域外から意図せざる外来生物が南極大陸に持ち込まれる事のリスクに注意を払っている。 1978年、アメリカはを採択し、南極大陸における自国の活動に制限を加えるようになった。 これは、外来動物や植物の持ち込みに刑事罰を加えられる。 また、南極の生態系において大きな位置を占めるオキアミのには、漁業方法を公的に制定する事で対処している。 1980年に発効された CCAMLR は、南極全体の生態系に及ぼす潜在的な影響を考慮し、南氷洋で操業するすべての漁業活動を制御するよう定めている。 このような新たな取り組みにも関わらず、野放しや密漁は止まず、特にはチリ沿岸産と偽ってアメリカ市場で売られるなど深刻な問題となっている。 アイナメの密漁は増加し、2000年には32,000トンが乱獲された。 政治 [ ] 2002年に締結された南極条約のシンボルマーク 南極大陸の地域に領有権を持つと主張する国は複数あるが、実際にはは存在しない。 これら国々の一部には相互に主張を承認しているところもあるが 、世界的にはこれらの主張は正当性を持たないと認識されている。 新たな領有権主張は1959年以降中断しており、南極大陸は政治的な中立地とみなされている。 この1959年は南極条約が批准された年であり、他の関連する合意とともに、この規制された状態は「南極条約体制」と呼ばれる。 条約は、ソビエト連邦(これはロシアに引き継がれた)、イギリス、アルゼンチン、チリ、オーストラリア、アメリカ合衆国など12ヶ国が調印している。 この体制では、南極を自由な学術調査と環境保護が維持される科学的な保護区と位置づけ、大陸での軍事活動を禁止している。 これは、中に初めて確立された協定である。 1983年、南極条約の調印国は資源採掘に対する協定制定に向けた交渉を開始した。 この際、 など国際的な組織 が公衆による圧力活動を展開して採掘への反対を押し進め、人間の活動が大陸に与える影響を記録するために例年の派遣を行った。 1988年、が採択された。 しかし翌年オーストラリアとフランスは、同条約の意図も目的も意味をなさないと解釈して、批准しないと発表した。 両国は、その代わりに南極環境を保護するための包括的な制度を定めるべき議論をすべきだと主張した。 これを他国も認め、議論の末に1998年1月14日に環境保護に関する南極条約議定書が取り交わされた。 この議定書では、南極は「平和と科学のための自然保護区」と定め、すべての採掘を禁止している。 軍事活動 [ ] 詳細は「」を参照 1908年のイギリスに始まる南極大陸での領有権主張は、ニュージーランド、フランス、オーストラリア、ノルウェー、チリ、アルゼンチンの計7ヶ国が行った。 これらは実効支配が無いと、当時のアメリカとソ連が認めなかった。 第二次世界大戦後、政治・軍事的な重要性から、南極条約によって領土の主張を棚上げする決定が下された。 それぞれの国が主張する領土は、南極点を要に扇形になっており、これはセクター理論と呼ばれる。 アルゼンチン・イギリス・チリの主張する地域には重なった部分がある。 その他の国では、 、ペルー 、旧ソ連に引き続きロシア 、南アフリカ そしてアメリカも 南極の領有に関する権利を何らかの形で表明している。 経済 [ ] 詳細は「」を参照 南極大陸からは石炭 ・石油・が発見され、大陸棚を含めると・・・・・・・・の存在も推定されている。 類では、近郊だけでも、、、などが発見されている。 1991年の南極環境保護条約によって積極的な採掘は制限された。 1998年の議定書にて経済的な発掘や採掘は、2048年まで一切が禁止された。 そのため、南極における最大の経済活動は漁業およびその国際取引であり、2000-2001年には112,934トンの漁獲量が挙がった。 小規模な「冒険的観光」は1957年から行われており、その内容は環境保護に関する南極条約議定書による制限が加えられるが、事実上は () IAATO が定める内規に基づいている。 旅行のほとんどは中規模以下の船を使い、象徴的な野生生活を観察しやすい、決まった場所が選ばれる。 2006-2007年の夏には総計37,506名の旅行者が、ほぼ全てが商用船に乗って訪れた。 2010年までの累計訪問者は 80,000人を越えると予想された。 訪問者の流入が環境や生態系に与える潜在的な悪影響が懸念される。 自然保護派や科学者からは、船舶や旅行者に対する一段と厳しい規制を求める声があがった。 南極条約加盟国からの最初の回答は、環境保全委員会が IAATOとの協力の下でガイダンスを定め、頻繁に観光が行われていた地域に対して、上陸時間の制限や立ち入り禁止区域の設定を推進した。 上陸を伴わない航空機による、オーストラリアやニュージーランド発着の遊覧旅行では、1979年にが起き、全乗組員257名が死亡した。 は1990年代半ばに、オーストラリア発の南極上空飛行を再開した。 研究 [ ] アムンゼン・スコット基地で撮影したの様子。 基地は左遠方に見え、中央に、右下にガレージがある。 毎年、28の国々から研究者たちが南極大陸に向かい、他の地域ではまねの出来ないに取り組む。 その人数は夏には4000を超え、冬でも1000人以上が研究所に泊まる。 南極大陸最大の研究所であるでは、1000人を超える科学者や訪問者らが滞在可能である。 研究は、、、、、、、など様々な分野で行われる。 地質学では、からの隕石、ゴンドワナ大陸分裂の証拠探査が主に行われる。 南極の雪氷学は浮氷・雪・氷河や氷床の履歴や ()研究が盛んである。 生物学者の興味は、極寒の環境における野生生物の存在や、人間の存在が与える悪影響、そして有機体がどのように適応し生き残っているかに注がれる。 医学者は、極端な環境温度下でのウイルスの拡散および人体への影響に注目する。 アムンゼン・スコット基地の天文学者はドームでの調査を行う。 多くの天体観測にとって、高地であるため大気が薄く、気温や大気中の湿度が低く、の影響も少ない南極大陸内陸部は、地球上でも鮮明な宇宙の画像を得られる稀な場所であり、より良い観測結果を得られる。 アムンゼン・スコット基地の下1. 5kmの氷の中にはがあり、世界最大の遮蔽性と検出媒体となる性質の両方を持つ南極大陸の氷を活かしての観測が行われている。 1970年代から、南極大陸上空のにあるの観測が行われている。 1985年、 ()上ので集められたデータを3人の科学者が分析し、この層に穴()があることを発見した。 最終的にこの穴は、人類が使用する(CFCs)によってが破壊され生じたものと判明した。 1989年ににてCFCsの使用が禁止され、オゾンホールは2065年頃には閉じるものと信じられた。 しかし2006年9月にの衛星が捉えたデータから、オゾンホールは2750万km 2と、それまでの最大に広がっていることが判明した。 2007年9月6日、ベルギーを拠点とする国際極地財団は、を研究する初の南極研究所 ()を公開した。 ()の一環として、1630万ドルを投じたの研究所を2008年末までにベルギーから持ち込み、における状態の調査を開始した。 ベルギーの極地探険家アラン・ヒュバートは、「これはゼロ・エミッションを実現するために作られた最初の基地で、南極においていかにエネルギーが使われるべきかを示すユニークなモデルになる」と語った。 とおよびの研究は、所長であるヨハン・ベルケがプロジェクトの企画と管理の下で行われる。 2008年1月、Hugh CorrとDavid Vaughanが率いる () BAS は、レーダーを用いたの結果から、2200年前に南極大陸の氷の下で火山の噴火が起こったという報告を、雑誌に発表した。 ()付近にある ()氷床の下から、この1万年の中で最も大きな噴火のが発見された。 地質調査 [ ] ()を覆うブルー・アイス。 南極横断山脈のなど複数のから融水が流れ込んでいる。 南極大陸の地質調査は、溶ける事が無い厚い層の氷に阻まれてきた。 これに対し、やまたの使用など、新たな技術が導入される事で、氷の下に眠る構造が明らかになり始めた。 西南極の地質はのそれと似ており 、は終盤から初頭に、海底沈殿物が隆起とを起こして形づくられた。 これはの貫入およびによって引き起こされたものである。 西南極で一般的な岩はジュラ紀に形成された火山岩のとである。 火山活動は氷床がつくられた後にも続き、その証拠はやにある。 西南極で唯一変則的な部分はであり、ここは的に大陸東部の様相に近い。 東南極の地質は変化に富み、30億年以上前の岩などを含むをさかのぼった頃に形成された。 これらはを基礎とするやの台地で構成される。 この基礎の上には比較的近年に当るデボン紀やジュラ紀に積みあがったや・などがあり、南極横断山脈が形成された。 沿岸のやなどにはが見られる。 南極大陸で採掘される主な鉱物資源は石炭であり 、記録上最初の発見はニムロデ探査においてで見つけた ()に遡る。 現在では低品位炭が南極横断山脈の様々な場所にある事が知られている。 他にも、 ()には豊富な鉄鉱石があり、ロス海の沖合には1973年にやが発見された。 これら鉱物資源は、 ()にて、2048年まで採掘が法的に禁止されている。 氷床コアボーリング [ ] 南極大陸の氷床をボーリングで取り出し、採取したを分析すると堆積した時代の大気や気候を知ることができる。 また穿孔穴を利用した氷床の動きや歪みなども測定される。 地下のボストーク湖にはがいる可能性が指摘されており、2012年2月6日に湖面まで到達した掘削孔を利用した研究の結果が待たれる。 また、氷で閉ざされた湖の表面はの衛星との類似性があり、ボストーク湖で生命が発見されればエウロパでも同様の可能性を検証する資料になりうる。 2008年2月7日、NASAのチームが ()の高アルカリ水の中に生きるの調査に着手した。 仮に発見されれば、メタンが中心成分をなす非常に冷たい環境における地球外生命の考察に影響を与えることが期待される。 隕石 [ ] から飛来し南極大陸で発見された隕石 南極大陸で発見される群は、初期を構成した物質を知る上で非常に重要である。 そのほとんどは起源のものであり、中にはから飛来したと考えられるものもある。 最初の隕石発見は1912年に遡る。 1969年には調査隊が9個の隕石を発見した。 これらの隕石の大部分は100万年間にわたって氷の上に降り注いだもので、その上に雪が積もって埋まり、やがて何世紀もの期間をかけて移動する氷床が山地などとぶつかる所に溜まる。 それが風食作用等で表面に浮き上がり発見される。 南極大陸で発見される隕石は、他の地域で見つかるものよりも保存状態が良好である。 このような大規模な収集は、太陽系における隕石の種類や、小惑星や彗星との関係に対する理解を深める。 新しいタイプや珍しい隕石も発見された。 この中には衝撃によって月や火星から飛び出し飛来したものもあった。 これらのうち、特に ()にて発見されたなどは、火星に微生物が存在したかどうかの論争を喚起した。 隕石は宇宙空間で浴びた宇宙線の履歴を残すため、地球に落下してからの経過時間を実験室の分析で明らかにできる。 この経過時間、すなわち地球上に存在した時代の解析は、南極氷床の環境を知る上で有効な情報になる可能性を秘めている。 2006年にの研究チームは、NASAのを用いて行った重力測定の結果から、大きさ約480kmの ()を発見した。 これは、約2億5000万年前に形成されたと考えられる。 氷の収支 [ ] 南極の氷の動き その位置ゆえ、南極大陸が受ける太陽照射は比較的少ない。 そのため、気温が非常に低く、水はほとんど氷の状態で存在する。 少ない降水は雪として降り注ぎ、夏に溶けないフィンと呼ばれる分は蓄積され、巨大な氷床を形成して陸を覆う。 その一部はを呼ばれる大陸沿岸へ向かう、年間数-数十mから沿岸部では数百mの動き を持つ。 その先では、大陸上の氷の塊が押し出されて棚氷を形成する。 沖合に至っても気温は低いままであり、海水も凍りつかせて氷は年間を通してほぼ維持される。 このような多様な南極の氷が、海洋面の高さへの影響を与えたり、へ関連する。 海洋部の氷は毎年冬に拡大し、夏にはほとんどが溶ける。 この氷は海洋水から形成されるため、浮いている状態では海洋面の高さを左右しない。 南極大陸を囲む氷は、その厚みの変化は明確ではないが、範囲はここ数十年においてさほどの変化を見せていない。 浮いている氷は影響を与えないが、棚氷を形成する陸上から移動した氷は地球全体の海面上昇を引き起こす。 これは内陸に降る雪で相殺されるものだが、この数十年間は沿岸部、特に南極半島に沿った部分で発生した大規模な棚氷の崩壊が報告されている。 このような棚氷の分断が、大陸の氷河から供給される水の量を増加させる可能性が懸念される。 これは降雪によって増加し、海への流出によって減少する。 現在、西南極では流出量が降雪を上回り、徐々に海面上昇を引き起こしている。 1992年から2006年までの科学的調査によれば、氷は1年当たり約500億トンが失われ、海面は約0. 14mm上昇していると示唆された。 への氷河流出は大幅に加速しており、この数値は倍以上になっているという説もある。 東南極は大陸の大部分を占める広大かつ標高が高く、寒冷な領域である。 ここは、結果的に氷床を沿岸へ押し出す役目をする降雪が少ない。 そのため全体の質量収支は、ほぼ均衡またはわずかに増加(海洋面水位にとっては低下)していると考えられる。 しかし、局地的には流出が増加している箇所も発見されている。 エリック・スタイグが2009年に発表した研究において、1957年から2006年にかけて南極大陸全体の平均気温が0. この上昇は、秋の東南極の寒冷化と一部相殺される。 ある研究結果によると、南極大陸は人間が排出したの影響によって温暖化しているという証拠が提示された。 しかし、西南極表層のごくわずかな温暖化が、海洋面の高さに対するの作用へ直接効果を与えているとはにわかには信じられていない。 その代わり、深海から到達する暖かい海水が氷河に影響し、から離されると考えられている。 南極半島部分が水位へ実際にもたらす影響は、その場所の大気が温暖化するよりも非常に大きくなる。 2002年、南極半島のBが崩壊した。 2008年の2月28日から3月8日にかけ、南極半島南西部のから570km 2に及ぶ氷が分離して崩壊し、残りの氷15000km 2にも同じ事が起こりうる。 2009年4月5日の崩壊では、分離される前に氷は幅6kmの「筋」で繋がっていた。 オゾン層の劣化 [ ] 詳細は「」を参照 年々、オゾンが集中する大気層に見られる巨大な劣化部分(オゾンホール)が南極上空で成長している。 2008年9月、この部分が南極大陸を上回る過去最大の大きさとなり、12月末までの長い期間にわたり持続していた点も過去に見られなかった。 最初にオゾンホールを発見したのはのである。 観測したオゾン全量があまりに小さかったことに気づいた忠鉢は、初めは計器の故障を疑った。 やがて本当にオゾンが少ないことに気づき、1984年の国際オゾンシンポジウムでこの事実を発表した。 イギリスも観測結果から1985年にオゾンホールを発見し 、「オゾンホール」というわかりやすい言葉を使った報道も相まってオゾンホールの存在は世界に知れ渡ることとなった。 観測の結果から年を追うごとに拡大傾向にあることが分かった。 これは、オゾンを他のガスに変質させる効果を持つ CFCs が大気中に放出された結果 、大気の大循環によって南極に集められていたことが判明したのである。 このオゾン層破壊が南極そして南半球へ気候変動を引き起こす要因となる可能性が、いくつかの研究から指摘された。 でオゾン層はほとんどの紫外線を吸収する。 そうなると、南極大陸を取り囲むように吹く西風()が強まり、大陸の冷気を封じ込めてしまい、大陸塊にある東南極の氷床の温度が下がると考えられる。 相対的に南極半島など周辺の温度は上昇し、氷の溶解を促進する。 この理論では、オゾン層破壊による極圏への紫外線照射量増加、そして極渦効果の高まりによって、大陸沿岸の海氷はむしろ増えることが見込まれる。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• The World Factbook. 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温暖化で激減した南極の海氷 泳ぎやすくなったペンギンが健康に?

南極点 あつ森

ただ海外の高木に対する評価は違っていました。 #6(海軍、平時の脚気対策)の時に、高木はタンパク質と炭水化物のバランスによって脚気が起こるという論文を発表したと紹介しましたが、これは海外の医学雑誌にも転載され、欧米で非常に大きな注目を浴びたと言います。 食物改善で脚気を防止するということ自体が独創的な発想だったようで、それが評価されたらしい。 山下政三氏『明治期における脚気の歴史』にはこうあります。 明治十八年から二十年にかけての英文論文によって高木兼寛の業績は広く欧米において認められている。 独創を尊び成果を重んずる西洋医学からみると、兼寛の「食物改良による脚気の根絶」は、発想の独自性と先見性、成果のすばらしさから、まさしく画期的な業績であった。 ビタミンが知られたのちには、さらにその先見性が高く評価され、ビタミンの先覚者と位置づけられるのである。 海軍当局は高木説の効果あるを見、受け入れてきた経緯を見てきました。 しかしそれまでの自説を展開するための運動が祟ってか(政治家への働き掛けや明治天皇への上奏等)、高木はあれほどの成果を上げたにも拘わらず海軍部内でも不遇だった。 また高木説は長い間、日本の医学的権威(東大医学部、陸軍医務局)から白眼視された事も見てきました。 海軍も、とは意外なことではありますが、相対的に見て日本国内では高木説も高木自身も冷遇されていた。 日露戦争直後の明治38年12月、高木はアメリカのコロンビア大学から講演の要請があり渡米します。 またその足でヨーロッパに向かい、幾つかの国で、そしてイギリスにある母校セント・トーマス病院医学校でも講演を行っている。 いずれの内容も高木が奮闘してきた脚気撲滅の経緯でした。 これは、欧米の医学界で非常に評価された。 本当に大きく評価されたのです。 専門の医学雑誌で講演後すぐに報道されただけでは無く、アメリカではコロンビア大学とフィラデルフィア医科大学、イギリスのダラム大学からもそれぞれ名誉学位を贈られています。 国内で評価されなくても、世界では絶賛された。 これは高木にとっても望外の喜びでは無かったかと思うのです。 そして何よりも高木が評価されるべきは、ビタミン発見の嚆矢となったことです。 高木の脚気食物原因説を突破口に大正元年、鈴木梅太郎がオリザニンを発見します。 オリザニンというのはビタミンB1の事で、鈴木はこれを米糠から発見しました。 世界で一番初めに発見されたビタミンです。 このフンクがビタミン発見史の中で高木の脚気研究の業績を高く評価している事をはじめとし、ビタミン関連の著書の中では、多くが高木の名前と、その業績をトップにあげ、高い評価を与えています。 また、医学史専門書のビタミン発見史でも、「1882年から1886年の間に、高木兼寛が食物を改良して日本海軍の脚気を根絶し、それがエイクマンとグリーンスの実験を導いた」と、はなはだ高い評価のもとに記述している。 ビタミン学、栄養学、医学史の専門書を渉猟すれば、まだまだ多く高木兼寛の名を目にすることは間違いない。 <略> この世にビタミンがある限り、ビタミン発見史をもたらした脚気病の存在は、永久に忘れられることはないであろう。 同時に、兵食の改革によって海軍の脚気を撲滅し、食物に脚気の原因があること(食物の中には健康に必須不可欠な成分があること)を明示した、高木兼寛の先覚的な業績も忘れられることはないであろう。 今後とも、ビタミン発見史のトップに高木兼寛の名前が飾られていくことは間違いないのである。 (『明治期における脚気の歴史』) 南極大陸には、栄養学の分野で世界的な貢献をした学者の名をつけた岬がある一帯が存在するそうです。 その中に高木の名前を冠した岬、「高木の岬」があります。 イギリスの極地研究所から日本にそのことが伝えられましたが、しばらくは誰の事か分からなかったらしい。 名前が付けられた由来を見て高木兼寛だと分かったと言います。 日本人名が付けられた岬は、このひとつだけであることを最後に付け加えておきます。 というか最早書く必要もないかな、という気がしないでもありません。 明治41年、脚気病調査会が発足した際、当時陸軍医務局長であった森林太郎がその会長に就任し、挨拶をした寺内陸相から痛烈な言葉を浴びせられたのは先に見た通りでした。 当時はもう、誰の目から見ても脚気は過度の白米食に原因があるという事が分かっていたのですが、それでも森をはじめとする医務局はそれを認めなかった。 戦争が始まれば必ず脚気患者が多くなる。 此脚気の予防方法は却々困難であつてチブスの様な訳には行かぬ。 第一其病源を発見することが出来ないのみならず、欧米に余り例のある病でないから、他国に於て発明したる学術方法を応用するといふことが出来ぬ。 実に此病源は未決の問題である。 原因が未決であるから、無論之に処する確たる治療方法があるべき筈がない。 明治42年ですよ。 とはいえ、森も白米に問題があるという事は心中認めていたようです。 ただ頑強に白米を推進していた手前、そして陸軍医務局の体面上、海軍との対抗上、決して表ではそれを認めなかった。 長年の多数派であった伝染病説は、今や森ひとりが孤立するような状態にまでなっていました。 先に「森は梯子を外された」云々と書きましたが、この表現に疑問を持たれた方も多いのではないかと思います。 なぜ私がこう思うかというと、頑強に伝染病説で論を張っていた上司石黒が陸軍を退役し、前任者小池は医務局長を辞任、巡り巡ってそのポストは森に巡ってきました。 森は実質的な白米至上麦飯排斥の責任者でありました。 ですがその森のスタンスは上司が頑強な立場で一歩も引かなかったため、後年に至っても論を変えることができなかったという点があると思うのです。 日露戦争が終わり、森が陸軍軍医のトップに就任した時には、かつての責任者はすでに陸軍を去り責任ある地位を去り、気付くと森は己ひとりになっていました。 もはや共に有効な論陣を張ってくれる人間も、庇ってくれる人間も周囲にはいません。 梯子を外されたようになったと表現したのは、そういう点です。 森は多くの兵士を殺した。 それは事実です。 内実の事情はどうあれ、その責任は少しも軽減しません。 ただ森のために少々気の毒だと思うのは、脚気調査会が立ち上がった時に共に断罪?されるべき人間が傍にいなかった事です。 死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ 奈何ナル官権威力ト雖此ニ反抗スル事ヲ得スト信ス 余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス 宮内省陸軍皆縁故アレドモ生死別ルゝ瞬間アラユル外形的取扱ヒヲ辞ス 森林太郎トシテ死セントス 墓ハ森林太郎墓ノ外一字モホル可カラズ 一番有名な一節がここでは無いでしょうか。 ちなみに手紙の前後、端折っています。 森に関する研究書などを読んだことがないので、素人判断として聞いて頂きたいのですが… 「文豪森鴎外」としてしか知らず、その反面にある「軍医森林太郎」の顔を知らなかったらこの遺書は意味不明では無いかと思うのです。 遺書にここまで書いて現世との縁故を打ち切りたい理由。 私は森の軍人としての公生活に求められるのではないかと。

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