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仏陀(ブッダ)が苦行の末に得た「悟り」とは?

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原語と音写語 [ ] 原語 [ ] : Buddha(ブッダ)は、の「知る」「目覚める」を意味する動詞ブドゥ budh の過去分詞形で 、「目覚めた者」 や「真理、本質、実相を悟った人」 、「覚者」・「智者」と訳す。 「正覚者」のことであり、聖人・賢者をブッダと呼ぶようになった。 buddhaの語はでは、もとはを通じて使われたものであり、の開祖もこの名で呼ばれたことがある。 音写語 [ ] ブッダの名称は、に伝えられた当初、その音を写して 音写して 「浮屠 ふと 」「浮図 ふと 」などの漢字が当てられた。 またのちに、ブッダが別に仏陀 佛陀 と音写されることが増え、 602~664年 以降に固定する。 より古い時代に、末尾のの脱落などがあり「ブト」と省略され、それに「仏 佛 」の音写が当てられた との考え方もある。 は、「佛」の字を「人であって人でない 人を超えている 」と解した。 仏陀の範囲 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2017年9月) 基本的にはを開いた ただ一人を仏陀とする。 初期の経典でもやや、弥勒菩薩が未来に成仏することなど過去や未来の仏陀の存在を説いたものもあるが、現在の仏陀は一人だけであるとされた。 またの文献にはを「ブッダ」と呼んだ形跡があるが、仏教ではマハーヴィーラを仏陀とは認めていない。 しかして時代を経ると、という見方が展開し、釈迦以外にも数多くの仏陀が同時に他の世界で存在している事を説く仏典が現れた。 例を挙げると、初期経典では「根本説一切有部毘奈耶薬事」など、大乗仏典では『』や『』などである。 多くの仏教の宗派では、「ブッダ(仏陀)」は釈迦だけを指す場合が多く、を得た人物を意味する場合はなど別の呼び名が使われる。 を得た人物を「ブッダ」と呼ぶ場合があるが、これはを含む沙門宗教に由来するもので、の伝統としてあるわけではない。 仏陀への信仰 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2017年9月) 釈迦は自分の教説のなかで輪廻を超越する(主宰神、絶対神)の存在を認めなかった。 その一方、経典のなかでは、従来は超越的な「神」( deva, )としてインド民衆に崇拝されてきた存在が仏陀の教えに帰依する守護神として描かれている。 その傾向は時代を経ると加速され、ヴェーダの宗教で「神」と呼ばれる多くの神々がとして仏教神話の体系に組み込まれていった。 また仏滅500年前後にが興隆すると、人々は超越的な神に似た観念を仏陀に投影するようにもなった。 なお、釈迦がした当時の社会では、が主流で、バラモン教では祭祀を中心とし神像を造らなかったとされる。 当時のインドでは仏教以外にもなどの諸教もあったが、どれも尊像を造って祀るという習慣はなかった。 したがって原始仏教もこの社会的背景の影響下にあった。 そのため当初はなどでは、で仏の存在を示していた。 しかし、死後300年頃より彫像が作られはじめ、現在は歴史上もっとも多くの彫像をもつ実在の人物となっている。 とはいえ、死後300年を過ぎてから作られはじめたため実際の姿ではない。 仏陀の顔も身体つきも国や時代によって異なる。 十号 [ ] 詳細は「」を参照 仏典では仏陀をさまざまな表現で呼んでおり、これをという。 真如より来現した人。 (おうぐ、: arhat) - 阿羅訶、阿羅漢と音写されている。 煩悩の尽きた者。 善逝(ぜんぜい、: sugata) - によって迷妄を断じ世間を出た者。 世間解(せけんげ、: lokavid) - 世間・出世間における因果の理を解了する者。 無上士(むじょうし、: anuttara) - 悟りの最高位である仏陀の悟りを開いた事から悟りに上が無いと言う意味。 (ぶつ、: buddha) - 煩悩を滅し、無明を断尽し、自ら悟り、他者を悟らせる者。 (せそん、: bhagavat) - 福徳あるひと。 菩薩の五十二位 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2017年9月) 仏陀の悟りの位については、が仏となる修行過程として52の位が存在するともされている ことが理解の助けとなる。 (下位から1段目~10段目の悟り)• (下位から11段目~20段目の悟り)• (下位から21段目~30段目の悟り)• (下位から31段目~40段目の悟り)• (下位から41段目~50段目の悟り) - 41段目の初地の悟りを開いた人は、油断しても悟りの位が退転しない事から、特に「初歓喜地」と言われる。 (下位から51段目の悟り) - 仏の悟りの位に等しい事から等覚と言われる• (下位から52段目の悟り) - 仏、仏陀、正覚 日本語の「ほとけ」 [ ] ブッダが漢字に音写された「浮屠 ふと 」、「浮図 ふと 」が日本に伝えられる過程で、「ふと」という読みに「け」を付し、「ふ」は「ほ」に近づいて、「ほとけ」の語が生まれた。 では「ほとけ」は、またはそのをも意味する。 ほとけが死者の意味で使われるようになったのは、の以降、死者をまつる器として 瓫(ほとき)が用いられて、それが死者を呼ぶようになったという説もある。 しかし、日本では人間そのものが神であり(人神 = ひとがみ)、が伝来した当初は仏も神の一種と見なされたこと( = となりぐにのかみ)から推察して、人間そのものを仏と見立てて、ひいては先祖ないし死者をブッダの意味で「ほとけ」と呼んだとも考えられている。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 朝日新聞社. 2017年9月26日閲覧。 , p. 『』及び『』• 『広辞苑』岩波書店、1986年10月、第三版、2215頁。 743. 参考文献 [ ]• 他『岩波仏教辞典』岩波書店 ,1989年。 、『バウッダ』講談社学術文庫、2009年。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ] で 「 仏陀」に関する情報が検索できます。 ウィクショナリーの ウィキブックスの ウィキクォートの ウィキソースの コモンズで()•

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原語と音写語 [ ] 原語 [ ] : Buddha(ブッダ)は、の「知る」「目覚める」を意味する動詞ブドゥ budh の過去分詞形で 、「目覚めた者」 や「真理、本質、実相を悟った人」 、「覚者」・「智者」と訳す。 「正覚者」のことであり、聖人・賢者をブッダと呼ぶようになった。 buddhaの語はでは、もとはを通じて使われたものであり、の開祖もこの名で呼ばれたことがある。 音写語 [ ] ブッダの名称は、に伝えられた当初、その音を写して 音写して 「浮屠 ふと 」「浮図 ふと 」などの漢字が当てられた。 またのちに、ブッダが別に仏陀 佛陀 と音写されることが増え、 602~664年 以降に固定する。 より古い時代に、末尾のの脱落などがあり「ブト」と省略され、それに「仏 佛 」の音写が当てられた との考え方もある。 は、「佛」の字を「人であって人でない 人を超えている 」と解した。 仏陀の範囲 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2017年9月) 基本的にはを開いた ただ一人を仏陀とする。 初期の経典でもやや、弥勒菩薩が未来に成仏することなど過去や未来の仏陀の存在を説いたものもあるが、現在の仏陀は一人だけであるとされた。 またの文献にはを「ブッダ」と呼んだ形跡があるが、仏教ではマハーヴィーラを仏陀とは認めていない。 しかして時代を経ると、という見方が展開し、釈迦以外にも数多くの仏陀が同時に他の世界で存在している事を説く仏典が現れた。 例を挙げると、初期経典では「根本説一切有部毘奈耶薬事」など、大乗仏典では『』や『』などである。 多くの仏教の宗派では、「ブッダ(仏陀)」は釈迦だけを指す場合が多く、を得た人物を意味する場合はなど別の呼び名が使われる。 を得た人物を「ブッダ」と呼ぶ場合があるが、これはを含む沙門宗教に由来するもので、の伝統としてあるわけではない。 仏陀への信仰 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2017年9月) 釈迦は自分の教説のなかで輪廻を超越する(主宰神、絶対神)の存在を認めなかった。 その一方、経典のなかでは、従来は超越的な「神」( deva, )としてインド民衆に崇拝されてきた存在が仏陀の教えに帰依する守護神として描かれている。 その傾向は時代を経ると加速され、ヴェーダの宗教で「神」と呼ばれる多くの神々がとして仏教神話の体系に組み込まれていった。 また仏滅500年前後にが興隆すると、人々は超越的な神に似た観念を仏陀に投影するようにもなった。 なお、釈迦がした当時の社会では、が主流で、バラモン教では祭祀を中心とし神像を造らなかったとされる。 当時のインドでは仏教以外にもなどの諸教もあったが、どれも尊像を造って祀るという習慣はなかった。 したがって原始仏教もこの社会的背景の影響下にあった。 そのため当初はなどでは、で仏の存在を示していた。 しかし、死後300年頃より彫像が作られはじめ、現在は歴史上もっとも多くの彫像をもつ実在の人物となっている。 とはいえ、死後300年を過ぎてから作られはじめたため実際の姿ではない。 仏陀の顔も身体つきも国や時代によって異なる。 十号 [ ] 詳細は「」を参照 仏典では仏陀をさまざまな表現で呼んでおり、これをという。 真如より来現した人。 (おうぐ、: arhat) - 阿羅訶、阿羅漢と音写されている。 煩悩の尽きた者。 善逝(ぜんぜい、: sugata) - によって迷妄を断じ世間を出た者。 世間解(せけんげ、: lokavid) - 世間・出世間における因果の理を解了する者。 無上士(むじょうし、: anuttara) - 悟りの最高位である仏陀の悟りを開いた事から悟りに上が無いと言う意味。 (ぶつ、: buddha) - 煩悩を滅し、無明を断尽し、自ら悟り、他者を悟らせる者。 (せそん、: bhagavat) - 福徳あるひと。 菩薩の五十二位 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2017年9月) 仏陀の悟りの位については、が仏となる修行過程として52の位が存在するともされている ことが理解の助けとなる。 (下位から1段目~10段目の悟り)• (下位から11段目~20段目の悟り)• (下位から21段目~30段目の悟り)• (下位から31段目~40段目の悟り)• (下位から41段目~50段目の悟り) - 41段目の初地の悟りを開いた人は、油断しても悟りの位が退転しない事から、特に「初歓喜地」と言われる。 (下位から51段目の悟り) - 仏の悟りの位に等しい事から等覚と言われる• (下位から52段目の悟り) - 仏、仏陀、正覚 日本語の「ほとけ」 [ ] ブッダが漢字に音写された「浮屠 ふと 」、「浮図 ふと 」が日本に伝えられる過程で、「ふと」という読みに「け」を付し、「ふ」は「ほ」に近づいて、「ほとけ」の語が生まれた。 では「ほとけ」は、またはそのをも意味する。 ほとけが死者の意味で使われるようになったのは、の以降、死者をまつる器として 瓫(ほとき)が用いられて、それが死者を呼ぶようになったという説もある。 しかし、日本では人間そのものが神であり(人神 = ひとがみ)、が伝来した当初は仏も神の一種と見なされたこと( = となりぐにのかみ)から推察して、人間そのものを仏と見立てて、ひいては先祖ないし死者をブッダの意味で「ほとけ」と呼んだとも考えられている。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 朝日新聞社. 2017年9月26日閲覧。 , p. 『』及び『』• 『広辞苑』岩波書店、1986年10月、第三版、2215頁。 743. 参考文献 [ ]• 他『岩波仏教辞典』岩波書店 ,1989年。 、『バウッダ』講談社学術文庫、2009年。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ] で 「 仏陀」に関する情報が検索できます。 ウィクショナリーの ウィキブックスの ウィキクォートの ウィキソースの コモンズで()•

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釈迦と仏陀の違い

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ブッダ(お釈迦さま)とは? 「 ブッダ」とは、仏のさとりを開かれた方のことで、 お釈迦様のことです。 約2600年前、仏教を開かれ、世界の 三大聖人のトップにあげられます。 ブッダは神ではなく、お父さんもお母さんもいる歴史上の人物です。 ブッダは、一体どんな方で、どんなことを教えられたのでしょうか? ブッダが悟りを開かれるまでにどんなことがあったのかを知れば、 ブッダがどんなことを教えられているかが分かります。 ブッダの誕生日は4月8日 約2600年前、インドのカピラ城に 浄飯王と マーヤー夫人という妃が住んでいました。 2人には長い間子供がなかったのですが、 もう子供ができないかと思っていた頃、 マーヤー夫人が身ごもられました。 今日同様、マーヤー夫人は出産のため、隣の国の実家に帰ろうとしたところ、 ちょうど ルンビニー園という花園にさしかかった時、 産気を感じ、そこで出産されました。 時あたかも 4月8日、ルンビニー園には 一面花が咲き誇っていました。 そのため今日でも、お釈迦さまの誕生日、 4月8日を「 」といって祝います。 マーヤー夫人は、もう実家へ返る必要がなくなり、 カピラ城へと帰ってゆきました。 お母さんが亡くなる ところが、高齢で産後の経過が悪かったのか、 1週間後に亡くなってしまいます。 浄飯王は、最愛の妻が亡くなった悲しみもありましたが、 もう無理かと思っていた跡取り息子ができたということでは、 大喜びでした。 シッダルタ(悉達多)太子と名づけてかわいがりました。 やがてかわいがっているうち、 「見れば見るほど賢そうだ。 さては将来大物になるに違いない、 どんな立派な人物になるのだろう」 当時、国一番の師・アシダ仙人を城へ呼び、 聞いてみることにしました。 アシダ仙人の予言 ところがアシダ仙人は、じーっとシッダルタ太子を見ていたと思うと、 やがて涙を流しました。 知り合いに自分の子供を見せたら、 急に泣き出したとしたら、何事かと思います。 浄飯王も「このめでたい席で不吉な涙を見せるとは何ごとか。 事と次第によっては許さん」 激怒して刀に手をかけました。 アシダ仙人は 「これはこれは申し訳ございませんでした。 私が見たところ、太子様は一目でただ人ではないと分かりました。 将来は、全世界を支配する伝説の 転輪王(てんりんのう)となられるか、 無上のさとりを開かれる仏陀となられましょう。 いずれにしろ、二度とこの世に現れないようなお方です。 しかも、どちらかといえば、私には 仏陀(ぶつだ)になられるように感じます。 ところが私はもう年ですから、この方が将来無上のさとりを開かれて、 真実の教えを説かれるころには、もうおりますまい。 目の前にそんな真実を説かれる方を目の前にしながら、 その真実が聞けないなんて、なんと残念なことかと、 涙せずにはいられなかったのです」 それを聞いた浄飯王は、 「なんだ、そういうことであったか、ならば許そう」 と大変満足したのですが、 それならぜひとも転輪王になって欲しいと、 教育によって何とかしようと思ったのです。 ブッダの才能 浄飯王は、シッダルタ太子が幼稚園にもあがらないうちに 文武の家庭教師をつけました。 当時国一番の学者であった バッダラニーと、 国一番の武芸の達人、 センダイダイバーの2人です。 今で言えば、ノーベル賞学者とトップアスリートを 家庭教師につけて英才教育を始めたようなものです。 バッダラニーの申し出 やがてしばらくすると、バッダラニーが 「 どうかやめさせてください」 と王様のところへやってきました。 浄飯王は驚いて 「どうした、何か太子がいたずらでもするのか? 給料が足りないのなら、2倍にしてやる」 と言うと、バッダラニー、 「いえいえ、王様、とんでもございません。 太子様は、大変まじめに学んでおられますが、 一を聞いて十を知り、十を聞いて百を知る大変聡明な方です。 最近は何か私の知らないことまで知っておられるようで、 太子様の質問に答えられません。 もう私には教えることがありませんから、どうかやめさせてください」 と言います。 浄飯王は 「まあそれなら仕方ない」 とやめることを許したそうです。 センダイダイバーの申し出 またあるとき、センダイダイバーがやってきました。 「私もついでにやめさせてください」 「一体どうした? 」 浄飯王が尋ねると、 「実は私は、特に弓の達人と言われていますが、 そんな私でも、100回射れば1発は外します。 ところが、 太子様は百発百中すべてど真ん中を射ぬかれる。 乗馬をしても、私は息切れしながらやっとやっと乗りこなしますが、 太子様はどんな暴れ馬も乗りこなされる。 もう教えることは何もありません。 どうかやめさせてください」 それを聞いた王様は、 「まあそういうことなら仕方がない」 とやめさせたそうです。 それ以降、太子は一人で学問に励んだり、 武芸の鍛錬をされるようになりました。 ブッダの悩みと結婚・子供 ところが成長するにつれ、 太子は物思いにふけられるようになりました。 浄飯王は、アシダ仙人が言っていたことを思いだし、 心配になってきます。 何度も理由を尋ねるのですが、 憂鬱な太子は何を聞いても答えません。 そこで浄飯王 「太子もそろそろ年頃だし、きっとお嫁さんが欲しいんだろう。 私の時がそうだった」 と、妻をめとらせることにしました。 そこでシッダルタ太子は19歳のとき、 国一番の美女といわれた をお嫁にもらいました。 するとしばらくは明るい太子になったのですが、 それも一年間だけでした。 やがて子供が生まれると、太子は「」と名づけています。 「 ラーフラ」とは「 束縛者」という意味です。 子供が生まれると、何とか子供に健康に育ってもらいたいと、 自分がやりたかったことを我慢して、 お金と時間を使って子供を育てるので、 束縛されて苦しみますよ、ということかもしれません。 そして太子はまた、憂鬱な生活に入ってしまいました。 毎日遊び暮らす…… 浄飯王は、仏のさとりを悟ろうなどという望みをなくさせなければなりません。 一体何を悩んでいるのだろう。 金か、おいしい食べ物か。 色々与えてみますが、何を与えても、太子の顔色は晴れません。 太子の悩みは、浄飯王の考えていたことではなかったのですが、 普通、人が欲しいと思うありとあらゆるものを与えて尽くしてしまいます。 そしてついに浄飯王は、季節毎に一番快適に過ごせるように、 四季の御殿をつくらせ、500人の美女をはべらせて、 太子を明るくしようとしました。 あなたはもし豪邸で、毎日仕事もなく、美味しいものを食べ、 ずっと遊んで暮らせるとしたら、うらやましいでしょうか? 太子の悩みはそんなことではなかったので、 まったく悩みはなくなりませんでした。 一体太子の悩みは何だったのでしょうか? ブッダの願いとは? やがてある日、シッダルタ太子は、浄飯王に手をついて、 「 私をこの城から出させてください」 とお願いに来たのです。 浄飯王は驚いて、 「四季の御殿も建ててやったし、 五百人の美女もはべらせた。 美味しいものを食べて毎日遊ぶだけなのに、 一体何が不足でそんなことを言うのか?」 「お父さん、実は 私の望みは3つあります。 それさえかなえてくれるなら、城を出なくてもかまいません」 はじめて、その悩みを打ち明けました。 「 1つ目の願いは、いつまでも今の若さで年老いないことです。 2つ目の願いは、いつも達者で病気で苦しむことのないことです。 3つ目の願いは、死なない身になることです」 それを聞いた浄飯王、 「それは、どんな権力をもってしても、どうしようもない。 年をとれば、病気になるし、やがては死んでいかねばならない」 「私はそれが悩みなんです。 老・病・死、これが解決されなければ、 何のために生まれてきたのかわかりません。 死ぬために生きているようなものです。 これを解決するために、城を出させてください」 太子が言うと、 「それはどんな人でもさけられないことなのだから、 何とかあきらめて私の後を継いでくれないのか……」 と浄飯王は、城を出たいという太子の願いを 一旦保留にしたのでした。 東の門 はじめ、城の東の門から外に出てみると、 そこには今まで見たこともないような人が、よろよろと歩いていました。 肌はしわより、腰は曲がり、杖をついています。 おつきの者に 「あれは一体何者だ? 」 と尋ねると、 「あれは 老人でございます」 「老人とは何か」 「はい、人は年を取ると、あのような老人になるのでございます」 「何!?それは王でもなるのか」 「はい、申し訳ございません。 王様といえど、年がいけば、必ず老人にならねばなりません」 これを聞いたシッダルタ太子は、ショックでその日は元気をなくし、 城へ帰ってしまいました。 南の門 しばらくたって城の南の門から出てみると、 またもや、見たことのない人が、むしろの上に横たわっていました。 体はがりがりにやせ細り、うめき苦しみながら、 虚空をかきむしっています。 「あれは一体何だ」 「はい、あれは 病人でございます」 「人は老い、必ずあのように病にかかって苦しまねばなりません」 「何!?それは王でもか」 「はい、申し訳ありませんが、 王様といえども、やがて病にならねばなりません」 またもやショックを受けたシッダルタ太子は、 外へ出る元気をなくして城の中へ帰ってしまわれました。 西の門 またしばらくして西の門から出ると、 また見たこともない人が運ばれて行くのを目撃しました。 骨と皮ばかりにやせ細り、全く動かなくなった人が、 悲しそうにすすり泣いている人たちに囲まれて、 ゆっくりと運ばれて行きます。 今でいう、葬式の行列でした。 「あれは一体何だ?」 「はい、あれは 死人でございます」 「死人?何だそれは」 「はい、人はやがてあのように、必ず死んでいかなければなりません」 「何!?それは王でもか」 「はい、申し訳ありませんが、 王様といえども100%死んでいかなければなりません」 これを聞いたシッダルタ太子は、今までで一番の大きなショックを受けて、 もはや外へ行く元気はなく、そのまま城へ帰ってしまいました。 北の門 それからまたしばらくして今度は北の門から出てみると、 そこには、老いと病と死の問題を解決しようと している 修行者がいました。 それを見たシッダルタ太子は、 内心、まさに人生は、老いと病と死の問題を解決せねば、 大変なことになると思ったのです。 普通なら「 今さえ楽しければいいや」 と思ってそこまで考えないのですが、 よく考えて見ると、すぐに消える、 一時的なでは、誰も満足できません。 それなのに、やがて人生はあっという間に過ぎ去り、 老い、病にかかり、死んでしまったら 一切のが崩れてしまいます。 このことは、人生を真面目に見つめないと、 なかなか起きてこない悩みです。 が崩れてから、それに苦しみ悩む人はあるでしょうが、 シッダルタ太子は、が崩れてからではなく、 まだ若く、能力もあり、欲しい物は何でも手に入るなときに、 人生の本質を見抜かれたのです。 それで、この解決を求めさせてくださいと、 お父さんに言われたのでした。 ブッダの出家 太子の出城の願いは差し止められ、 これまで通りの同じ毎日が繰り返されていたのですが、 どんなに健康や財産、地位、名誉、妻子、才能などに恵まれていても、 やがてすべてに見捨てられる時がくることは避けられません。 どんな幸福も続かない人生のすがたを知っておられたシッダルタ太子は、 もはや心からの安心も満足もできませんでした。 「 どうすれば、崩れない本当のになれるのだろう?」 シッダルタ太子の、真実の幸福を求める気持ちは、 日に日に強くなってゆかれました。 やがてある日の夜、シッダルタ太子は四季の御殿で目を覚まされました。 そこには昼間、美しく着飾って踊っていた女たちが、 みっともない様子で寝ていたのです。 太子は幻滅を感じ、深くしました。 「 私はだまされていた! これこそ本当のすがたなのだ。 こんなことをしている間に、もう結婚して10年が過ぎ、 あっという間に29歳になってしまった。 こんな所でうだうだしていたら、 私は何のために生まれてきたのか? このままでは生きている意味がなくなってしまう」 シッダルタ太子はもう誰にも言わず、 「 健陟(カンタカ)」という白馬に乗って出ていってしまいました。 ときにシッダルタ太子、29歳の2月8日のことでした。 これが有名な「 出城入山(しゅつじょうにゅうせん)」です。 ブッダ捜索作戦 翌朝、城ではてんやわんやの大騒ぎです。 浄飯王は 「お前ら500人もいて、1人も気づかなかったのか。 何をやっているんだ」 と激怒すると、 (憍陳如)という人が現れて 「どうか私に太子様を探させてください」 と申し出ました。 「おお、探してくれるか」 喜んだ浄飯王は、キョウチンニョをはじめとする五人を使わし、 全国を捜索します。 やがてついに、している太子を発見できたのです。 キョウチンニョは、尋ねました。 「 世の中には、の動機に4通りあると聞いています。 長い病気の苦しみで、もはや喜びを見いだすことができないとか、 老人になって体が動かず、希望を失ったとか、 お金や財産を失い、生活に困っているとか、 家族を亡くして世をはかなむからと聞いています。 ところが、 太子様は4つともあてはまりません。 若く、健康で、勉強もでき、運動神経も抜群でらっしゃる。 そしてお金はいくらでも手に入る。 ご家族はみなさん健在。 なぜそれらの楽しみを捨てて、 一衣一鉢の姿で遠いさとりを求められるのでしょうか?」 すなおな疑問をたずねてみました。 なぜシッダルタ太子は楽しみを捨てて悟りを求めるのか するとシッダルタ太子は、 「 そなたがたには あの激しいの嵐が分からないのか。 一切は続かないのだ。 どんなに今楽しいと思っても、 やがて必ず衰え、ほろんでいくのだ。 快楽のかげには、の響きがこもってを感じるではないか。 美女の奏でる音楽や歌は、欲をもって人を惑わすのみだ。 欲に迷わされているうちに、人生は、 夢のように幻のように消えていってしまうのだ。 いつまでも若いままでいたいと思っても、 若い時はあっという間に過ぎ去って、 老いと病と死のために すべてに裏切られてしまうのだ。 そなたがたにはまだ分からないのか!」 と一喝されたのです。 お金も財産も、地位や名誉も、目の前にあるときは、 意味に満ちあふれているように見えるのですが、 やがて老と病と死によって、必ず崩れ去ってしまいます。 せっかく苦労してかき集めても、最後裏切られるときには、 苦労の意味がまったく分からなくなってしまいます。 王様の太子として生まれ、勉強も一番、スポーツ万能、 欲しい物は何でも手に入り、国一番の美女と結婚して、 将来の地位も名誉も約束されていたお釈迦さまも、 やがては崩れてしまう幸福では、 本当の満足はえられないと知っておられたのです。 キョウチンニョたちも、言われてみれば確かにそうだと深く納得し、 城へ帰ると浄飯王に、太子様と共にしたいと申し出て、 共にに励むようになっています。 仏のさとりを開かれる そしてお釈迦様は、私たちが想像もできない 厳しいを6年間なされ 35歳の12月8日、ついにを開かれました。 35歳で仏のさとりを開かれたお釈迦様は、 80歳でお亡くなりになるまでの45年間、 すべての人が、本当のになれる道一つを 説き続けていかれました。 これを今日、仏教といわれます。 ですから、 仏教を聞けばどんな人でも老いと病と死を超えた 絶対変わらない絶対の幸福になることができるのです。 ではどうすればその本当のになれるのか ということについては、仏教の真髄なので、小冊子とメール講座にまとめました。 一度見ておいてください。

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