スペイン 風邪 収束。 スペイン風邪流行時の日記を発見!100年前はどのように収束した?

パンデミックの歴史、収束期間は?パンデミック宣言したらどうなる?

スペイン 風邪 収束

100年前のスペインかぜに学ぶ、収束までの期間と株価の動き 本日の モーニングサテライトにてスペイン風邪が取り上げられていました。 スペインかぜは1918年から20年にかけて猛威を振るい、感染者は5億人以上、死者は4000~5000万人にのぼりました。 現在、このスペインかぜについて 各金融機関が研究を進めているそうです。 このスペインかぜを調べ今のコロナがいつまで続きそうなのか、当時の株価はどう動いたのかをチェックしてみました。 1929年の世界恐慌を調べた記事はこちらです。 合わせてどうぞ。 スペインかぜ、流行は3回・収束には2年かかった スペインかぜは世界人口の 4人に1人が感染しました。 コロナは 5000人に1人の感染ということを踏まえるとすごい人数です。 流行は3回あり収束までには約2年を要しました。 (モーニングサテライトより) 流行は3回。 第一回目と2回目の感染者は多く、2回目の方が致死率が高くなっています。 ) 気になるのは、 一回の流行で収まらないということと、 2年かかったということ。 ということは、コロナの場合もこの先数か月自粛すれば一旦は収束するかもしれないけれど、また再び流行がやってくる可能性があります。 この数か月を生き延びることを考えるのではなく、今後2年はコロナと共に共存することを前提に行動する必要があると思っています。 今までの行動をガラッと変えなければならない状況です。 このときの株価の動き スペインかぜは1918年~1920年、そのあと1929年に世界恐慌がやってくることになります。 この期間のNYダウの推移がこちらにのっていました。 ( スペインかぜのときは株価が調整局面にありましたが、そのあと1921年~1929年の8年間にかけて大きな上昇トレンドを描いています。 その後1929年~1932年の3年間は下降トレンドとなります。 パンデミックの歴史と日経平均の株価騰落率 四季報オンラインに過去パンデミックの歴史と株価騰落率について書かれた記事がありました。 結果だけみると新型感染症が発生した翌月は大きく下がる事があっても、12カ月後を見越すとすべてのパンデミック発生時で株価は上昇しているとのこと。 ということは…??まさに今が買い時なのでしょうか。 あくまでも1つの参考材料として頂ければと思います。 ブログの更新通知が欲しい方へ ラインにて更新通知をしております。 株女子会2となっておりますが、男性でも遠慮なく登録なさってください。 配信解除も自由に行えます。 こちらはあと 34 名様入れます。 以前の「株女子会」に登録された方はこちらには登録しないでください。 二重に更新通知がいってしまいます。 現在 323名の方が登録してくださっています。

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スペイン風邪はなぜ終息したのか?世界最大のパンデミックを引き起こした強力なウイルスが地球上から姿を消した三つの理由

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100年に1度の「パンデミック」は社会を変えている 今の新型コロナウイルスがパンデミックになると、社会の様相も変わってくることが予想されます。 実は、 世界的なパンデミックは、ほぼ100年に1度起きています。 1918年「スペイン風邪」の大流行 今から100年前は「スペイン風邪」が大流行しました。 1918年から19年にかけて流行し、 当時の世界の人口約16億人のうち、5億人が感染したと言われています。 人類の3分の1がこの病に感染し、 世界で約5,000万人から1億人が死亡しています。 「スペイン風邪」は、致死率10~20%にもなり、日本でもこの感染症で39万人が死亡しています。 当時ヨーロッパは、第一次世界大戦の真っただ中だったのですが、「スペイン風邪」流行したことで、戦争が早期に終結したと言われています。 1820年「コレラ」の大流行 その約100年前の1820年には、 コレラが大流行しました。 19世紀は産業革命で都市に多くの人が集まりましたが、労働者は劣悪な環境で働かされたためにコレラがまん延しました。 結果、 衛生環境や労働環境に目が向けられ、公衆衛生という考え方が生まれました。 1720年「ペスト」の大流行 その約100年前の1720年には、 フランスでペストが大流行しました。 ペストは黒死病とも呼ばれ、それ以前も度々流行していました。 しかしこの時期に多くの労働者が死んだため、ヨーロッパでは領主などが力を持つ荘園制が崩壊し、国王の中央集権が進み、 集権化による防疫体制が整備されました。 ヨーロッパは、それ以前も何度かペストが大流行していますが、 防疫体制が整備されて以降は、ほとんどペストのパンデミックは起きていません。 「情報型・非接触型社会」への進展が進む 今回の「新型コロナウイルス」は、何を残すのでしょうか。 私は、 「情報型・非接触型の社会」が、大きく進むのではないかと思います。 すでに、インターネットやスマホで、「情報型・非接触型の社会」は出現していますが、これがさらに速度を速めることでしょう。 1か所に集まらなくても、3Dホログラムで遠隔地から会議に出席できるようになるでしょう。 また、 わざわざ会社に行かなくても、同僚とスムーズに仕事ができる社会が、あたりまえになってくることでしょう。 すでに、実証実験が始まっていますが、宅配はドローンでの無人配達が標準的になるでしょう。 また、診療も、スマホを使って目視とデータ通信で行うという社会がやってくることでしょう。 こうした方向は、新型コロナウイルスのパンデミックがなくても、早晩やってくる社会です。 それが、一気に早まる可能性があるということです。 (執筆者:荻原 博子) 経済ジャーナリスト 1954年生まれ。 経済事務所勤務後、1982年からフリーの経済ジャーナリストとして、新聞・経済誌などに連載。 女性では珍しく骨太な記事を書くことで話題となり、1988年、女性誌hanako(マガジンハウス)の創刊と同時に同誌で女性向けの経済・マネー記事を連載。 難しい経済やお金の仕組みを、生活に根ざしてわかりやすく解説し、以降、経済だけでなくマネー分野の記事も数多く手がけ、ビジネスマンから主婦に至るまで幅広い層に支持されている。 バブル崩壊直後からデフレの長期化を予想し、現金に徹した資産防衛、家計運営を提唱し続けている。 新聞、雑誌等の連載やテレビのコメンテーターとしても活躍中。 「どんとこい、老後」(毎日新聞社)、「お金は死ぬまえに使え」(マガジンハウス)、「ちょい投資」(中央公論新社)など著書多数。

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歴史が教えるコロナウイルスの収束時期

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パンデミックからは 1918年1月から1921年3月までです。 前段階は近年のコンピューター解析によって、1918年型インフルエンザウイルスの前駆体が1907年頃に発生したことが判明している。 エタプル駐屯地では1916年末にスペイン風邪と症状が類似する致死率の高い新種の病気が流行し、その後1917年3月にはイギリス本土のオールダーショットにある陸軍の兵営でも同様の流行が発生しており、のちにイギリス軍の病理学者はエタプルとオールダーショットで流行した病気が1918年パンデミックと同一のものであったと結論づけた。 日本では、1918年10月に大流行が始まり、世界各地で「スパニッシュ・インフルエンザ」が流行していることや、国内でも多くの患者が発生していることが報じられた。 第1回の流行が1918年10月から1919年3月、第2回が1919年12月から1920年3月、第3回が1920年12月から1921年3月にかけてである。 当時の人口5500万人に対し約2380万人が感染したとされる。 感染者数2380万人、死亡者約39万人が内務省衛生局編『流行性感冒』による統計数値である。 速水融は死亡者を約45万人(肺結核、気管支炎等が死因とされていた者を含む)と推計している。 景気はすぐに回復した。 当時は大正中期だった。 大正デモクラシーも盛んだった。 工業生産高が、農業生産高を上回った。 さらに、第一次世界大戦の戦勝国となった。 身の回りに大きな変化があった時期だけに、スペイン風邪は軽視されていたという。

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