たちあがる女 感想。 『たちあがる女』感想

映画『たちあがる女』あらすじネタバレと感想。アイスランドの自然と音楽が女性の人生を豊かにする

たちあがる女 感想

個性的な演出にとても引き込まれる。 楽器隊とコーラス隊が音楽だけでなく美術背景やキャストの役割も担う演出が良かった。 アイスランドの雄大な風景が彼らを抱え込み違和感を無くしていた。 アイスランドは自然が豊かで火山が多く地熱発電と水力発電で殆どのエネルギーを賄っている。 ほぼ自然エネルギーによる発電なのでコストが安く安定して電力を得られる為、大量の電力を必要とするアルミニウムの精錬産業が国内の収益を支えている。 しかしこのアルミニウム工場や、安定した電力を供給するためのダムを作る過程で多くの自然が破壊された。 アルミニウム工場のプロジェクトは東部の過疎地に住む貧困層の生活を支える救いである反面、アイスランドの人々が大切にする自然を破壊する。 生きるために生まれ育った土地の自然を捨てるか、自然を守り困窮しながら死んでいくか。 アイスランドの人々は長らくこの議論を続けてきた。 「自然を守れ」と叫ぶ人達の多くはその土地に住む人間ではなく他所のコンクリートに囲まれた都会からやってきた人々だったりするのがまた皮肉な所。 人を傷つける行為では無いにせよ、信念に基づき一直線にかなり過激な活動をしている主人公の部屋に、非暴力で闘ってきたリーダー達であるマハトマ・ガンディーとネルソン・マンデラの写真が飾ってあるのも印象的。 それ以外の美術とかも細部まで拘りがありそう。 彼女が養子の申請をしたのが4年前。 ちょうどウクライナでクリミア危機が起こった頃。 主人公の信念に基づいた行動は過激な面だけではない事が分かる。 自然保護活動家として政府に立ち向かう過激な面と、国が始めた戦争で傷ついた子供を引き取り母親になりたいと願う優しい面。 二つの相容れない強い感情を併せ持つ主人公の情熱を冷静にユニークに映し出した面白い作品だった。

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〈ネタバレ無し〉新感覚!映像と音楽の独特な共存の仕方!『たちあがる女』感想🎬|じきどらむ|note

たちあがる女 感想

この映画の舞台のアイスランドは天然資源が豊富だ。 故に地球の未来を考える人が多いのだろう。 日本でリメイクして欲しい作品 この映画は文句なしに面白い。 断言できる。 絶対に観て欲しい。 子供から大人まで観て欲しい映画だ。 何よりも日本人に観て欲しいと思った。 すでにハリウッドではジョディー・フォスターがリメイクを考えてれいるとのことだが、この映画こそ日本でリメイクすべき映画だと思った。 舞台として沖縄とか福島とか。 なぜ彼女が環境テロリストになったのか。 物語は表向きは合唱団講師、しかし裏の顔は環境テロリスト演じるハットラの活動を主軸に展開されている。 映画の冒頭、アイスランドの美しい苔蒸した大地が画面に映し出される。 そして送電線の切断し、苔蒸した大地を必死の形相で逃げる女。 確かに戦う女だ。 ハットラがなぜこのような破壊活動を行なっているかは、あっさりと描かれている。 まずアイスランドの美しい自然を守りたいこと。 地球温暖化に歯止めをかけること。 更に外資企業の進出を快く思わないことが挙げられる。 ガンジーとマンデラへの想いは何か 彼女の部屋にはガンジーとマンデラの写真が飾られている辺りも重要だ。 言ってみれば革命家を夢見ている。 資本主義とは何か、発展とは何かについて絶えず考えて生きてきたのだろう。 つまりは共産主義に近い思想を持っていると思う。 ここで面白いのは進出する中国の企業に向けて活動の矛先を向けている点だ。 ウクライナの女の子を養子にする意味とは そしてこの破壊的活動を続けるかどうかを決める選択が訪れる。 子どもの存在だ。 彼女には実子はいない。 長年、養子を欲していて、その夢が叶うのだ。 ウクライナの女の子。 このウクライナという設定も意味がある。 反社会的な行為であるが、応援したくなる女性 ハットラの住むアイスランドに中国系の企業が進出しアルミニュウムの工場が稼働している。 ハットラにとっては工場は環境破壊の要因であり、地球温暖化を促進させる存在だ。 美しいアイスランドが汚染されてしまうのを防ぐという使命感か、あるいは過激な思想からなのか、。 工場に送られる電源を遮断し、操業を停止する。 電線を切ったり、鉄塔を破壊したりとこれがまた痛快で面白いのだ。 もちろん反社会的行為であるから決して褒められた事ではないが、応援したくなるのだ。 カッコいいのだ。 破壊の後にアイスランドの大自然を疾走する姿がカッコいい 破壊活動を行なった後が良い。 美しいアイスランドの苔蒸した大地を疾走していくのだ。 苔のジュータンに潜り込んだり、氷河から流れ出る冷水に隠れたり、羊の死骸を被ったりと、あらゆる自然を身につけて、ハイテク機器から逃れる。 中でも圧巻だったのは今世界中で流通しているドローンを弓矢で撃ち落とす様には笑ってしまった。 ドローンは中国の DJI 製品なのも意味深い。 ハットラは子どもが欲しかった、母親になりたかった もう一つ、おそらくハットンは若い頃から子どもが欲しかったのであるが、実子に恵まれず養子を欲している。 この背景に彼女の人生を何となく想像してしまう。 勝手な想像だが愛する人に出会ったが結ばれなかったのか、それとも愛よりも自身の活動の方が優先された人生なのかを考えてしまう。 もしくは不妊だったのかもしれない。 (また養子はウクライナから女の子という設定もこの映画の大きな意味を持つ)親になる、彼女にとって 1 番の夢が叶ったのだ。 双子の姉は精神性を重んじる世界を目指している、その意味は ハットラはこのまま環境活動を続けていくか、それとも養子を迎えに行くか悩み、最後の大仕事をやってのける。 国中を上げて山女を捕まえようと試みるが捕まらない。 しかしウクライナへ出国するその時、事は起こる。 ネタバレにならない程度に書くが、ハットラにはヨガ講師を務める双子の姉がいる。 彼女の精神性は穏やかで争いを好まない。 この辺りもハットラと相対的だ。 果たしてどうなるのだろうか。 映画のラストカットが印象的だ 映画のラストカットが印象的だ。 おそらくだが、保水力を失った大地、川が氾濫している。 人々は水に浸かりながら渡る。 自然の前ではバスも車も役に立たない。 それでも人間は前へ進まなければいけない、そんなメッセージも受け止める。 確かに自然保護活動も大事だろう。 でも全ての思考の振り子をそちらに向けてしまっては生きていけないことも確かだと思う。 他にもあるはず。 探してみよう。 この映画はあらゆる事柄を対比させながら地球の未来について深く描いている。 愛想の良い合唱団の講師と過激な環境活動家、自然(大地)と発展(都市)、穏やかな姉(ヨガ)と過激な妹(革命家)、アナログとデジタル、弓矢とドローンなど。 そして演出として音楽隊を挿入し寓話的に仕上げているのが素晴らしい。 過激な場面が和らいでくる。 しかもアイスランド男性 3 人のトリオとウクライナの民族衣装を着た 3 人の女性歌唱隊が交差するところが秀逸だ。 上手い、とにかく上手い。 原題 『 Woman at war 』を直訳すると『戦争の女』となるが、この邦題の『たちあがる女』は良いタイトルだと思う。 スタッフ 監督 ベネディクト・エルリングソン 製作 マリアンヌ・スロ ベネディクト・エルリングソン カリネ・ルブラン 脚本 ベネディクト・エルリングソン オラフル・エギルソン 撮影 ベルグステイン・ビョルゴルフソン 美術 スノッリ・フレイル・ヒルマルソン 衣装 シリビア・ドッグ・ハルドルスドッティル 音楽 ダビズ・トール・ヨンソン キャスト ハルドラ・ゲイルハルズデッティルハットラ/アウサ ヨハン・シグルズアルソンズヴェインビヨルン ヨルンドゥル・ラグナルソンバルドヴィン マルガリータ・ヒルスカニーカ ビヨルン・トールズ首相 ヨン・グナール大統領 作品データ 原題 Woman at war 製作年 2018 年 製作国 アイスランド・フランス・ウクライナ合作 配給 トランスフォーマー 上映時間 101 分 映倫区分 G.

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映画『たちあがる女』ネタバレ感想・解説・考察!移民や難民受け入れ、養子縁組の現実を描く

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ネタバレ! クリックして本文を読む アイスランドの田舎風景が堪能できそうなのと、 各種レビューの評価が高く関心が湧き、 鑑賞してきました。 たしかに広大な緑の平原に送電鉄塔が立ち並ぶと、 自然を愛する人からしたら 「企業憎し」にもなりましょうが、 主役の度が過ぎて、かつ女性の発想を超えた抗議・妨害・破壊活動には、 もう少し動機づけを描いてほしかったです。 ただの意固地な頑固オバさんで終わってしまいます。 しかし、なにがビックリかって、 「BGM」 シンプルな編成の楽団やコーラス組が、画面に共に出演する、、、! しかも出演者の顔色を伺いながら演奏するという、 これだけでも観る価値ありです。 主役にソックリなヨガ講師を双子と知らせるには、 もっとストレートに「双子」と言わせても良かったとは思いますが ソックリさん、、、なのかな?みたいに思えた ラストシーンはしっかり観てるこっちも安堵でき、 また爽快でもありました。 例えば、映画『おクジラさま ふたつの正義の物語』を観ると理解出来るのだが。 シーシェパードの幹部の人間も、大地町の人達が本当に鯨やイルカを、摂りたい放題に捕獲している訳では無く。 迷い込んで来たり、必要な数に応じての捕獲であるのを、大地に数年掛けて住んでみると分かり。 その現実との乖離に悩み抜き、やがてシーシェパードを離れて行く人が描かれていた。 現地の人達は。 その有難さに、心底感謝を捧げて敬っているのを知ってしまったから。 それに対し、この作品でテロ行為を続ける女。 彼女が、直接的にターゲットとするのは物言わぬ建築物。 表の顔を隠れ蓑にした、裏の顔の彼女に浮かぶのは。 ただ単に怒りと恨みだけだ! それだけに始末が悪い。 何しろ、その行為には「私のやっている事は全て正しい!」…とゆう一方的な理論のみなのだから。 それゆえに《それ》は、ドンドンとエスカレートしていき終わりが見えない。 本来ならば、この女の行為に賛同する事などは全くないのだけど。 これが、映画としてのエモーショナルな部分とし。 追跡劇として提示され、娯楽性が増すと段々と面白くなって来るのだから、全く始末におえん…って言ったところだろうか。 何しろ女版『ランボー』と言った感じなのだ! ただ、それによって。 本来の意味で示されていたであろう、難民問題等の問題定義が。 目立たなくなってしまっている辺りは、痛し痒し…であろうか。 それにしてもタフな女だ! 姉妹関係が明らかにされた時に、終盤のオチ…と言ってしまって良いのか?分からないのだが。 大体の予想は出来てしまう弱さ・中途半端さは、ちょっとだけ否めないところではあるけれど。 何度も登場する謎の人間達等、ちょっとだけ変わった映画を観たい人にはオススメかも知れない。 始まってすぐ、ストーリーには関係の無い、大自然の中でBGMを演奏している音楽家が映し出される様にビックリ。 でも、ストーリーが進んでいくにつれ、その姿にも慣れ、終わるころには耳にリズムがこびりついているという中毒性は、急に歌って踊り出すインド映画に通じるものがあるのかも。 山女としてのハットラの活動中に映し出される大自然はとても雄大で、惹きこまれてしまったが、追ってからの逃げ方(隠れ方)にちょっとビックリ。 最後の展開も含め、そうきたか!という心地よい驚きのシーンが多かった。 いとこもどきバンザイ! 観終わってから、ジョディ・フォスターのリメイクの件を知り、彼女が主役のハットラを演じるのではないのかもしれないけど、彼女のはまり役としか思えず。。。 他の方も書かれているように、ハリウッド版で本編の描かれ方以上にあの音楽がどうなるのか、楽しみで仕方ない。 本当に、これ、面白いと思えそうな人には全員観てもらって、感想大会したい映画です。 何?これ?新しいですね、BGM担当要員の音楽隊が終始付きまといます。 ユーモラス。 テーマは深くても、悲壮感は軽やかに振り切って。 ランボーのような、とありましたが、私はエイリアンのシガニー・ウィバーが頭をよぎりました。 自然、子ども含め人間もその一部ですが、そうした守りたいいのちのためにひたすら闘っているんです、主人公が。 でも私たちも、皆そうかもしれません。 時にはそれが思い込みと紙一重で。 滑稽なようでもあり、思わず笑いがこぼれます。 でも凄いんです、行動するんです、この人は。 ぼーっとしてません。 メソメソもしません。 ぐちゃぐちゃ言わず、行動。 愛があるから、諦めない。 だからどこまでも強くなっていく。 ひたむきなので、またそれを思わず応援してしまう男と家族、神の采配?で巻き込まれる人まで。 周りの人や関係性に目に見えない変化と糸が出来ていく。 活動家、ってこういうことでしょうか。 男と女のレンアイじゃないですよ。 血縁だけの家族愛でもなく。 そこを超えていく愛を描いてみました、という映画。 時代も、性別や血や種の問題含め、愛というテーマは、新しい章に入りましたね。 邦題がちょっとだけ勇ましすぎかな。 活動家だから?でもしなやかな強靭さです。 ネタバレ! クリックして本文を読む ストーリーは あるハイランド地域の街に住む、50歳独身のハットラは、地元社会人合唱団の音楽教師をしている。 双子の姉が近くに住む。 ハットラは、音楽教師以外に、自然環境破壊と戦う、活動家としての顔も持つ。 地元には、鉱業ジャイアント、多国籍企業のリオ テイントが所有するアルミニウム工場がある。 ハットラは、アルミニウムを精製する過程で出る廃液が環境破壊につながるために、工場の生産を止め、環境を保護するために、すでに5回も工場に直結する送電線をショートさせ送電の妨害を起こしている。 会社も黙ってはいない。 アルカイダによるテロか、ゲリラグループによる破壊活動か、グリーン党内部の過激組織によるものか、犯罪グループの摘発のためにCIAの知恵を借り、犯人を特定、追跡しようとやっきになっていた。 ある日、ハットラが6回目にアルミニウム工場送電線を妨害して帰ってくると、養子縁組担当者から手紙がきていた。 4年前の事なので、すっかり忘れていたが、ハットラは養子縁組の申し込みを出していたのだった。 ウクライナから4歳の孤児を引き取るかどうか問われて、ハットラは突然の事なので、戸惑いながらも喜んで引き取ることにする。 合唱団の人々も祝福され、双子の姉からも喜んでもらえた。 でも子供を引き取る前に、子供の未来のためにやらなければならないことがある。 まず、アルミニウム生産による廃液が自然環境を破壊していることを街の人々に訴え、これまで6回も送電を妨害してきたのは、テロリストでも過激派グループでもなく、単独犯であるという声明を印刷して町中に撒いた。 リオ テイント社の工場が閉鎖しなければならないほどの打撃を与えなければいけない。 ハットラは、爆弾と電動カッターを持って、山に入り、送電線を爆破する。 警察は思いのほか早く動き出した。 犬を使って本格的な追跡隊が駆り出され、ドローンもヘリコプターも日夜わけずに上空から偵察を続行する。 ハットラは、山を走り、凍った氷河を登り、氷水の濁流を渡り、もう力尽きて逃げ切れなくなったところを、牧場主に助けられる。 牧場主に街なかの自宅まで送ってもらうと、その日はもうウクライナに養女を迎えに行く日だった。 空港に行き、カウンターに向かう。 しかしそこでは、「テロリストハント」が行われていて、通過できないことを悟ったハットラは、タクシーで引き返す途中で、逮捕される。 拘置所に双子の姉が面会に来てくれた。 姉はハットラをしっかり抱きしめながら、自分のワンピースを妹に頭からかぶせて、自分はハットラの囚人服を素早く身に着ける。 車のキーを渡しながら「これで空港に直行し、ウクライナで亡命しなさい。 」という。 身代わりの囚人になった姉を残して、ハットラは言われた通りに国外脱出し、ウクライナの孤児院を訪ね、4歳の娘に会う。 そこで孤児とハットラは、しっかり心を通わせる。 娘を引き取ってバスで首都に向かう途中、洪水でバスがエンコする。 他の乗客たちと一緒にハットラは、娘をしっかり抱いて、腰まで水につかりながら進路に向かって進んでいく。 というおはなし。 しばらくこんなに素敵な映画を他に観なかった。 まず映像が素晴らしい。 そして音楽が良い。 まず映像だが、前作で映像の詩人といわれた監督の作品。 詩情に満ちた映像に、登場人物のかもしだす大人のユーモアがちりばめられていて何度映画を観ながら笑ったことだろうか。 アイスランドの山々が広がる広大な高地の美しさが例えようもない。 山々は何億年もの間、溶けることのない雪渓を抱えている。 雪解けの水が川を作り、乾いた大地は深い緑色のミズゴケの覆われている。 その柔らかな大地にうち伏してミズゴケの匂いを胸いっぱい吸うハットラの自然にむけた深い愛情。 われら皆大地の子供。 山々が吹き下ろす風の音を聴け。 雪渓から落とされる水滴に耳を澄ませ。 ミズゴケに覆われた大地の柔らかさに心を開け。 そんな美しい大地にいくつもの送電線が林立し、ミズゴケを殺し環境を破壊する工場に電気を送っている無惨なすがた。 たった一人、誰の支援もなく単独で、多国籍企業に立ち向かっていくのはドン・キホーテでもなく、スーパーヒーローでもなく、ひとりの中年のおばさんなのだ。 50歳独身の音楽教師の家の居間には、ネルソンマンデラと、ガンジーの大きな写真が飾ってある。 そんな彼女が何をしているか知った人々は、手助けの労をいとわない。 確固たる心情をもって、ひとりきりで突き進む孤高の活動家は、決して孤独ではなく、アイロニストでもペシミストでもなく、ただただ大真面目に生きているのだ。 彼女が絶体絶命のときに救いの手を差し伸べる人々とは、彼女のやり方がどうのとか、批判も評価もせずに、ただ出来ることをしてやる。 みんな大人なのだ。 成熟した社会に住む人々。 警察の追跡から逃れようと、山を走り、雪渓を渡り、氷の河を潜り、力尽きて死にかけているハットラを助ける牧場主が素敵な男だ。 何も聞かず、何も問わず黙って低体温で半分心臓がとまりかけているハットラを温泉に放りこんで救命し、警察の警戒網を突破する。 人生を達観した男の魅力。 ハットラが警察から逃げまくっているときに、3回も同じスペイン人バックパッカーが、ハットラの身代わりの様にして警察に逮捕される。 山でテントを張り、自転車で気ままに高地を彷徨っているのだから誤解されても仕方がないのか。 彼が登場するたびに大笑いしてしまうけれど、精悍な顔をした好青年なのだ。 この映画の一番の良さは詩情たっぷりの映像の美しさと、そして音楽のスタイリッシュな使い方だ。 映像と同時に画面に音楽隊が登場する。 ハットラが山で走り回っているときに、突如ドラムとピアノのホーン3人の楽隊が登場して演奏する。 ドラムがハットラの早鐘のような心臓の音を鳴り響かせる。 彼女がウクライナから養子をもらうことになった途端に、3人のウクライナ女性が民族衣装を着て登場して、フォークソングを歌い出す。 ハットラが合唱団を指揮したあとの帰り道自転車を走らせるバックミュージックは、合唱だ。 3人の楽士と、3人のウクライナ歌手達は、映画の最後まで繰り返し、繰り返し登場して演奏する。 ハットラの頭の中に住む存在なのだろう。 最後に異常気象で苦しむウクライナの洪水のなかを、ハットラが子供を抱いて歩くシーンでは、3人の楽士、3人のウクライナ合唱隊が総出でバックグラウンドミュージックを奏でて、ハットラを見送る。 映像のバックに音楽を演奏する楽隊を登場させるという斬新でスタイリッシュな方法に感動する。 新しい。 これからこのスタイルで音楽を使う映画が沢山出てきそうだ。 登場する人々がみんな大人で、過激な活動家の話なのに安心して見ていられる。 成熟した社会が背景にあるからだ。 豊かな自然をもつアイスランドの魅力も尽きない。 ヴァイキングが9世紀に持ち込んだ、長い毛と太い足を持った美しい馬たち、山から吹き下ろす風に揺れる山岳植物、雪渓の広がり、ミズゴケが生えそろう柔らかな大地が、いつか訪れるとき、待っていてくれるだろうか。 それとも鉱山開発の垂れ流す汚水で生物が死に絶え、気温上昇で河が氾濫し、洪水で村が流され、破壊された自然を怒った火山が大爆発を繰り返すアイスランドになっていることだろうか。 アイスランドのド田舎でコーラス団を指導するハットラ。 彼女は地元にある精錬所に対して送電線切断等の営業妨害を繰り返す環境テロリスト"山女"という裏の顔を持っていた。 日々警察の追及を躱しながら危険な破壊活動をたった一人で続ける彼女のもとに一通の郵便が届くが、それは4年前に申請した養子縁組成立の知らせだった。 養女候補はウクライナで家族を失った4歳の孤児ニーカ。 母親になることをすっかり諦めていたハットラは一念発起、精錬所との孤独な戦いに終止符を打つべく立ち上がる。 牧歌的な人間ドラマかと思いきや全くそんなことはなく、人が死なない『ランボー』みたいな物語だったのでビックリ。 ベラボーにタフでカッコいいハットラさんが気が遠くなるくらい壮大な自然の中で命懸けの環境テロを繰り返す様がとにかく圧巻。 しかしそんなアクション要素だけではないのがこの作品の奥深いところ。 ハットラさんのテロ活動と何の関係もないのにやたら逮捕されるスペイン人バックパッカー、印象的な劇伴やコーラスが流れてくると必ずカメラに映り込むトリオバンドや民謡コーラストリオ等シュールなコメディリリーフもバンバンブチ込んでしっちゃかめっちゃか。 最後はこうなるかな?という予想をニアミスで裏切る展開からしっとりしたドラマにシフトして印象的なカットで豊かな余韻をスクリーンに残して終幕。 アイスランド・フランス・ウクライナ合作映画なんて多分初めて観たと思いますがこれは凄い傑作。 作品テイストはだいぶ異なりますが、音楽テロリストグループと音痴の刑事が対決するスウェーデン映画『サウンド・オブ・ノイズ』と通底する突き抜けた爽快さを持つ豪快なのに繊細な作品でした。 たちあがるというか、初っ端から完全に主人公はたたかう女である。 やっていることに共感はできないし、映画も取り立てて彼女を肯定して描いているわけでもなく、過激すぎる環境活動家としての主人公と、合唱指導をし養子を求める主人公は当たり前のように同じ人物である。 この作品は彼女の行為を正義として描かない。 むしろものすごく突き放している。 それが彼女を一層過激な行動に駆り立てる、という構造になっている。 過激な活動をする意味とは何なのか考えてしまう。 この映画の面白いところは、過激な女性のアクションであれ緊迫したシーンであれ、劇伴を演奏する楽団と歌手が登場するメタ演出である。 どこにでも当たり前に登場し、ただ弾くだけでなくどことなくユーモラスな動きを見せるこの音楽隊が、どう考えてもシリアスにしかなり得ない物語の内容を和らげている。 そして双子の姉と「いとこもどき」。 双子は絶対に伏線と思ったが、それだけではない、主人公と相対する存在であり、いとこもどきの存在もまた、主人公の人間たる側面を見せてくれる。 このラストがいいのかは正直分からないが... ストーリーテリングとしてはありかな...。 ジョディ・フォスターがリメイクするそうだ。 ぴったり過ぎる。 歌の先生をしてるおばさんが自然を破壊する工場反対のため送電線を切断したりしちゃう話。 自分はコメディとして受け取りました。 バードマンと同じようにBGMの演奏者が物語と関係なく画面に映る演出があります。 面白い演出なんだけど……多用しすぎでちょいしつこいかなぁ、とも。 ある種、この表現に逃げてる印象もありました。 演奏クオリティは素晴らしい。 特にドラムの演奏がすごいです。 JONSIソロで叩いてた人みたいに手数多い。 おそるべしアイスランド……。 BGM演奏者の登場。 ツッコミ無しで進むシュールギャグ。 旅行者&お姉さんのナイスキャラ。 面白い要素は色々とあるんだけど、本筋の物語があと一歩弱かったかなぁ、ってのが正直な感想です。 この一連の話は結局なんだったんだろう、とモヤモヤしたシコリがずっと残りました。 シビアな物語を、個性的な演出やシリアスな笑いでとぼけた感触にした、って印象。 小技は本当に面白い。 けどトータルでみると、同じネタのしつこさや淡々としすぎてるストーリーテリングがもったいないなぁ、と。 うーむ、好きだけどめっちゃ好きにはならない惜しい作品でした。 むしろ寒々として自然の厳しさを感じました。 しかし圧倒的なスケールの大きさがある。 49歳176センチの女丈夫の主人公ハットラの部屋には、マハトマ・ガンディーの写真が飾られている。 もうひとりは南アフリカのマンデラ大統領だろうか。 マハトマ・ガンディーは日本では無抵抗主義と呼ばれる非暴力不服従を唱えてインドの独立運動を率いた。 昨年度のアカデミー作品賞の「グリーンブック」の黒人ピアニストが「暴力は敗北だ」と諭していたのを思い出す。 ピアニストは絶対に暴力を振るわず小さな違法行為も許さない、遵法精神に溢れた紳士だったが、本作品のハットラは少し考え方が異なる。 ガンディーを尊敬し、ヨガも実践している割には破壊行為に精を出す。 ハットラの自己正当化は、アルミニウム工場を標的にしている限り、一般の人々には迷惑をかけていないという理屈である。 しかし彼女の行為がテロであることは間違いない。 他者の身体や財産に害を与える行為は共同体の崩壊に繋がるから、すべての共同体で罰則の対象として禁じられている。 しかし共同体の権力者には、破壊行為を行なっても罰則が適用されることはない。 県民投票で反対多数となっても平気で辺野古の埋め立てを続ける日本政府などがその典型だ。 ハットラには権力と癒着した大企業の行為が我慢ならない。 そして人間に対する諦観がないから、怒りに身をまかせた行動に出てしまう。 人がテロ行為に走る理由は、生に執着し、帰属意識を持ち、自分なりの世界観による被害者意識を持つからである。 被害者意識を除けば、政治家や実業家と同じで、ある意味で建設的だ。 人間なんてこんなもの、世界は腐りきっていて手の施しようがないと思っている人間は、テロ行為も無駄であると知っている。 世界を建設し、一方で世界を破壊するのは、どちらも欲望に忠実で自分の権利ばかりを主張する人間たちだ。 自分勝手な価値観を他人に強制し、暴力を使って服従させようとする点では、テロリストも圧政者も変わらない。 優しさは世界の片隅に追いやられようとしている。 聖書には「汝の敵を愛し、迫害する者のために祈れ」と書かれている。 寛容と優しさには、暴力行為よりもはるかに大きな覚悟を必要とするのだ。 アイスランドの厳しい自然を美しいと呼ぶのは簡単だが、安全で衛生的で快適な都市の暮らしは捨てがたいし、町並みを見て美しいと言う人もいる。 自然を守ることが正しいとされるなら、自然を切り開いて建設された都市はすべて正しくないはずではないか。 しかし人は自然も美しいと言い、町並みも美しいと言う。 自然は観光資源になるから美しいと言い、都市は便利で住みやすいから美しいと言うのだとすれば、人間のご都合主義以外のなにものでもないだろう。 そしてそういうご都合主義は世界中に蔓延している。 星空も夜景も両方とも美しいと思うのは、歴史的な刷り込みかもしれないのだ。 夜景のどこが美しいのかを考えたとき、明快に説明できる人はいるのだろうか。 すべての価値観は絶対ではなく、相対的なのだ。 本作品は、ヨーロッパのヒステリックな現状を直接的かつ具体的な映像で伝えてくれる。 環境破壊は問題だが、人間に都会の快適さを捨て去る覚悟があるのか。 その快適な生活を維持するための経済活動が環境を破壊する。 そして人々は環境ではなく自分の暮らしを守ることを最優先する。 なんとも八方塞がりで気が滅入る作品である。 唯一の救いはヨギーの最後の言葉にあると思うのだが、それは鑑賞後に各位でご判断されたい。 映画製作の手法としては、音楽が直接映像に入り込んでいるやり方は初めて観た。 斬新で、面白い。 登場人物が微妙にそれを意識しているところも愉快である。

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