新 東名 高速 で 行 われ て いる 実験 は。 トラック隊列走行 後続車無人で2台が追尾|新東名で実証実験を開始 国内初

「東名と新東名の周回走行の料金について☆」344ROCKのブログ | AUDI A4B8 / GC

新 東名 高速 で 行 われ て いる 実験 は

第5世代移動通信システム(5G)の商用化によって、あらゆる産業が再定義されるとされています。 その代表例の1つが自動運転分野。 2019年6月、ソフトバンクは新東名高速道路で、5G通信を使用したトラック隊列走行の実証実験を実施し、車間距離自動制御を行うことに、世界で初めて成功したことを発表しました。 この実証実験が、未来の産業においてどのような活用が期待されているのか、また5Gの通信技術がどのように活用されているのか、実験内容をひも解きながら解説します。 物流における社会問題を解決する次世代テクノロジー 少子高齢化に伴う労働力減少が加速し、トラック運送に従事するドライバーの年齢構成も徐々に高齢化する中で、ドライバー不足が深刻な社会問題となっています。 その解決策として注目されているのが「トラック隊列走行」です。 先頭車両は有人運転で、後続する車両が無人で追従することで、多くの荷物を少ないドライバーで輸送することができるようになります。 他にも隊列走行には、さまざまなメリットが期待されています。 さらには安定した車間距離で走行することによる道路の渋滞緩和や、ドライバーの労働環境改善などの効果も見込まれます。 隊列を解除すれば、それぞれのトラックが独立して走行できる柔軟性も兼ね備えています。 このトラック隊列走行は、ドライバー不足を解決すると同時に、経費削減と効率化を実現できる、まさに次世代のテクノロジーなのです。 トラックの隊列を安定して形成・維持するためには、自動運転技術に加えて、隊列を構成するトラック同士が通信を行い、瞬時に必要な操作制御を行うことが求められます。 一般的に、前方を走る車がブレーキを踏んで減速すると、それを認識した後続車のドライバーがブレーキを踏んで減速しますが、隊列走行の場合は先頭車両が減速すれば、そのブレーキ操作が瞬時に後続車両に伝わり、人間が操作するよりも素早く減速されます。 車両同士の通信をいかにリアルタイムに行えるかが非常に重要な要素であり、このカギとなるのが5Gの特長を活用した通信です。 「トラック隊列走行」の通信の仕組み ソフトバンクが行っている実験は、総務省の平成30年度5G総合実証試験の「高速移動時において無線区間1ms、End-to-Endで10msの低遅延通信を可能とする第5世代移動通信システムの技術的条件に関する調査検討」に基づく、「公道でのトラックの隊列走行、車両の遠隔監視・遠隔操作に関する 実証」として進められており、二つのユースケース(Use Case)での活用が期待されています。 その通信手段には、基地局を経由して車両間通信を行うV2N2V(Vehicle to Network to Vehicle)と、トラック同士が直接通信する、V2V(Vehicle to Vehicle)の2種類あります。 ではトラックの走行中、どのようなデータがやり取りされているのでしょう? トラックにカメラを搭載し、リアルタイムで映像を送信 車両制御系の通信 (小容量・低遅延)• 数十から数百バイト(Byte)のメッセージデータ• 車両の位置情報や加減速情報、制動情報、操舵情報など• (遠隔制御時の)緊急停止命令 映像監視系の通信 (大容量・低遅延)• 数十Mbpsのリアルタイム映像データ• 後続車の周囲を監視、ドライバーがいる先頭車両へ映像を送信 さらに、基地局を経由して通信を行うV2N2Vと、トラック同士が直接通信するV2Vの二つの通信手段は併用可能です。 もし何らかの理由でV2N2Vの通信が途切れてしまったら、後続車両を制御できず前方車両に衝突し、事故につながります。 そのような事態を防ぐため、V2V通信によって後続車に制御信号を送信し、安全に車両を停止させます。 他にも、先頭車両のドライバーの身に何らかの異変が生じた場合に、遠隔運行管制センターからトラックに緊急停止信号を送信することを想定して、V2N通信でのユースケースも検証して、安全な運行に備えています。 隊列走行における通信の要求条件 トラック同士の通信課題を解決する二つの技術。 従来、5G-NRの実験で用いられる装置は、基地局から端末へのダウンリンク(Down Link:DL)と端末から基地局へのアップリンク(Up Link:UL)の基地局を経由した通信しかありませんでした。 そのため、端末同士が通信するには、必ず基地局を経由して通信することになります。 そこで、基地局を経由せずに、端末同士が直接通信できるようにするため、2018年に5G-NR実験用試作機(5G-NR Sidelink実験用試作機)を開発しました。 本試作機は4. 5GHz帯の周波数を用いており、5G-NR Sidelinkは、先頭車両から後続車両に対する通信(Back Link:BL)と後続車両から先頭車両に対する通信(Forward Link:FL)の2方向で構成されています。 車両間直接通信の計測結果 Sidelink FL/BL 基地局経由の通信の計測結果 Uu UL/DL• トラック同士の通信の課題を解決する二つの技術。 移動しながらの通信となるため、トラックに取り付けられた送受信アンテナの位置関係は、刻々と変化していきます。 特に28GHz帯のような非常に高い周波数を利用する場合には、4. 5GHz帯での周波数帯とは異なり解決しなければいけないアンテナ技術の課題がありました。 ここで少しだけアンテナから送出される電波の特徴について知っておきましょう。 アンテナのタイプにもよりますが、28GHz帯のような伝搬損失の大きな高い周波数帯で一般的に用いられるアンテナは狙った方向により強く電波を送出するために指向性を持っています。 しかし、このような指向性を持つアンテナは、一部の方向で信号の送受信レベルが極端に低下してしまう「ヌル点(null)」と呼ばれる方向が存在します。 例えば、携帯電話の電波の受信強度が急に弱くなる場所があるという表現だとイメージしやすいでしょうか。 一定の距離・スピードを維持した状態でまっすぐ隊列走行しているときには安定した通信が行われていたとしても、カーブ時や車線変更時に、トラックに取り付けられたアンテナの位置関係に変化が生じてしまいます。 このときの位置関係によってはヌル点同士の通信になる場合があり、その結果として受信レベルが大幅に低下し、通信が遮断する可能性があります。 通信が途絶えると、トラック同士の連携ができず、事故につながってしまう可能性が大いに考えられます。 そこで、カーブ時のヌル点による影響を回避・低減するため、2017年度はデジタルビームの形成による試験を行い、成功しました。 しかし、実際の車両に実装することを考えると、消費電力や装置規模、コストといった実用面での問題があったため、さらに検討を重ねて、より簡易で低コストの技術として、2018年度はアンテナの方向によって電波の強度が変化しにくい「ヌルフィル化技術」を活用したアンテナを独自に開発しました。 カーブや車線変更におけるデータの送受信でも、安定した通信品質が維持できることを確認しました。 「トラック隊列走行」の実用化に向けた取り組み これまで、日本自動車研究所城里テストセンターのテストコース、新東名高速道路で実証実験を行いました。 自動車会社の車両性能評価実験でも使用される日本自動車研究所の城里テストコースでは、後続車監視のための映像伝送試験を実施。 さらに、アンテナ実装上の課題を解決するために、送受信アンテナの位置関係が問題となる車線変更とカーブにおける試験で、ヌルフィル技術を搭載したヌルフィルアンテナの適用効果を検証。 結果、従来アンテナでは車線変更時に通信の瞬断が発生する一方で、ヌルフィルアンテナではカーブ区間・車線変更時に通信の瞬断を防止できることが確認できました。 2019年2月には、5G-NR Sidelink(4. 5GHz帯)を通信回線として、車両間制御信号の伝送を実証。 新東名高速道路での実証実験では、5G-NR Sidelink は 4G/LTE に比べて、End-to-Endでの到達時間を約50ms前後短縮できることを確認しました。 そして2019年2月 、一般車両が走行する高速道路(公道)という実用的な環境下で、試験区間でのCACC(Coordinated Adaptive Cruise Control、協調型車間距離維持制御)による隊列走行を実証。 新東名高速道路の試験区間(約14km)を時速約70kmで走行する、3台のトラックの車両間で、5Gの車両間通信(4. 5GHz帯使用、無線区間の伝送遅延1ms以下)を用いて、位置情報や速度情報などを共有し、CACCによる隊列維持に成功しました。 隊列走行技術は、実証実験を重ねるごとに進化し続けています。 2020年には、高速道路での無人後続車による隊列走行の成功に向けて、自動運転に関連する研究開発が進められています。

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トラック隊列走行/CACCにLKAの新技術を加え、新東名で実証実験

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概要 [ ] 日本経済を担う大動脈として開通したも、の進展により渋滞や速度低下に見舞われて経済の発展、維持を図ることが困難となってきたことから 、東名と同等かそれ以上の高速性と輸送量を持つ道路として計画されたのが新東名高速道路である。 、と一体的に整備され、 - - 間約500 kmの国土軸を形成する幹線高速道路の一部である。 路線は東名とほぼ並行関係を保ち、途中で数か所の連絡路を介して相互に補完、連携し合う。 これによって東名の利用交通量を新東名に分散させ、慢性化していた東名の交通渋滞を解消して高速道路が本来持つ定時制と安定的な輸送体制の確保を目指している。 また、新東名は東名より約10 km山側を通過するため、発生やにおける等の自然災害の影響を受けにくくすることで、災害発生時における東名との同時被災を回避する。 特に東名が地震によるが比較的高い海側を通過するのに対して、山側に位置する新東名は震度が低い地域を通過することから、東海道地域の交通ネットワークに対する東海地震の影響を低減する。 このように新東名は、ダブルネットワークの強みを生かして一方が通行止めとなっても、もう一方が迂回路として機能するという、リダンダンシー(迂回路などの代替手段) の役割を担うものとされる。 道路名「新東名高速道路」は一般公衆に案内されている通称(道路名)で、法令によるの予定路線名では「第二東海自動車道」、に基づく正式な路線名では「第二東海自動車道横浜名古屋線」と称する。 予定路線の第二東海自動車道の起点はであるが、新東名高速道路はと接続するが起点となり 、海老名南JCT以東のルートは未定である。 また、第二東海自動車道の終点は(の )であるが、 - 間は、名港中央IC - 間と合わせとして供用中である。 また、計画時点(2010年)における新東名、新名神の平均断面交通量を62,000台(日)と推計したことで、車線数は往復6車線で計画された。 この道路規格は建設コストの面から批判を浴び 、2003年(平成15年)に開催された第1回で暫定往復4車線に縮小することが議決され、2012年(平成24年)の開通時点では、一部付加車線として往復6車線区間がある他は基本往復4車線で供用している。 なお、は2018年(平成30年)に静岡県内の区間については車線数の全線6車線化を決定し、2020年(2年)以降の順次供用を始めるとしている。 2020年(令和2年)3月時点の開通区間は、 JCT - IC 間、 - 間となっている。 途切れている伊勢原大山IC - 御殿場JCT間については2023年度(令和5年度)までに順次開通する予定である。 第二東海自動車道の終点は名古屋港の金城ふ頭に所在する付近。 よって第二東海自動車道の起点である東京からこの地点までの延長約330 kmを新東名高速道路として案内することもある。 路線データ [ ]• 起点 : 神奈川県海老名市(海老名南JCT)• 終点 : 愛知県豊田市(豊田東JCT)• 路線延長 : 253. 2 km• 道路規格 : 海老名南JCT - 御殿場JCT間 : 第1種第2級(完成時第1種第1級) 、御殿場JCT - 浜松いなさJCT間 : 第1種第1級 、浜松いなさJCT - 豊田東JCT間 : 第1種第2級(完成時第1種第1級)• 車線数 : 暫定4車線(完成時6車線) インターチェンジなど [ ]• IC番号欄の背景色が である区間は既開通区間に存在する。 施設欄の背景色が である区間は未開通区間または未供用施設に該当する。 未開通区間の名称は全て仮称である。 SIC は背景色 で示す。 路線名の特記がないものは。 英略字は以下の項目を示す。 IC:、SIC:、JCT:、SA:、PA: 本線 E1A [ ] IC 番号 施設名 接続路線名 起点 から 備考 所在地 (基本計画区間) 1 C4 0. 0 - 2 1. 5 5-1 E1 5. 3KPまで 3 (事業中) (都市計画道路西富岡石倉線 )(事業中) 8. 2 - (市道経由) 17. 9 度開通予定 - (事業中) 21. 0 - (町道経由) 度開通予定 - (町道経由) - (事業中) (事業中) 46. 2 度開通予定 7-1 E1 東名高速道路 53. 8KPから 6 E70 66. 5 駿東郡 6-1 (市道経由) (市道・県道22号三島富士線経由) 72. 0 7 () 86. 8 8 101. 2 - - 103. 2 9 E52 E52 110. 6 - 10 () 119. 8 10-1 (市道経由) 131. 0 11 県道209号静岡朝比奈藤枝線 国道1号 138. 4 - - 141. 3 12 国道473号() (事業中) 153. 4 - - 161. 0 13 170. 3 13-1 県道40号掛川天竜線 173. 7 市道下野部敷地線 178. 1 事業中 2021年初夏供用予定 14 182. 4 14-1 (市道経由) 188. 5 15 E69 E69 198. 0 16 210. 4 - - 213. 3 212. 8 上り線 下り線 17 国道473号() 236. 5 - - 250. 3 1 C3 253. 2 - キロポストは253. 1KPまで E1A 清水連絡路 E52 [ ]• 清水連絡路は全区間に所在。 IC 番号 施設名 接続路線名 起点 から 備考 9-2 E1 0. 0 - 9-1 (市道経由) 1. 8 9 E1A 4. 5 - E52 引佐連絡路 E69 [ ]• 引佐連絡路は全区間に所在。 IC 番号 施設名 接続路線名 起点 から 備考 (計画中) 17-1 E1 0. 0 - 15-1 11. 0 15 E1A 12. 7 - E69 歴史 [ ] 本節における路線名は、新東名高速道路として開通した2012年(平成24年)以前については計画段階の名称である「第二東名高速道路」(第二東名)の名称を用いて解説する。 東名の限界 [ ] 東名の海老名SA付近。 東京 - 厚木間は1977年までに日交通量64,000 - 88,000台に登るとの需要予測から開通当初より往復6車線とされたが 、その需要予測をあざ笑うかのように1978年ごろには12万台を突破し、渋滞が慢性化した。 を貫く戦後日本の新しい動脈として1969年(昭和44年)に全線開通した東名高速道路(以下、東名)だが 、ほどなく都市通過地域を中心に混雑が目立ち始め、特に東京 - 厚木間は休日ともなると高速道路の態をなさないほど渋滞が酷くなった。 このため建設省は割合早い段階から東名の代替路線の必要を認識した。 しかし、第二東名の計画は遅々として進まなかった。 地形的な条件が厳しく、資金を要するためである。 なお、東名の増強案としては、並行するを2階建てにしてその上に第二東名を建設する案、東名を2階建てにする案、並行する国道1号のバイパスを建設する案、東名の交通集中著しい区間を往復6車線化する案が挙がった。 この内、2階建て案は資金がかかり過ぎることが予想され、何よりも新幹線と高速道路の線形は全く異なり、インターチェンジを造ることも難しいとされた。 なお、一部の人からは(国幹道法)で定められた7,600 kmの高速道路の建設を終了してから第二東名の建設を検討すればいい、という意見も出た。 だが、そうした悠長なことを言っていられないほどに東名の混雑は年々酷さを増した。 1979年度のデータでは、東京 - 川崎間で既にキャパシティを超え、平均時速で見ると、東京 - 横浜間、静岡 - 焼津間、音羽 - 岡崎間、春日井 - 小牧間などで時速70キロを下回り、国際水準で見ると高速道路の概念に入らないような低速ぶりであった。 日本にはさまざまな道路があって、東名、名神以外にも重要とされる道路がないわけではない。 しかし、それにもかかわらず東名、名神の渋滞が他の道路よりも抜きん出て問題視されるのは、日本の経済活動を支える貨物輸送の主流が自動車であり、船や鉄道、飛行機に比べてもその比率は9割と圧倒的であるが、そのかなりの部分を東名、名神が担っているからである。 これは1977年度の調査であるが、東名、名神の1年間に輸送された貨物総量は約15億トンで、これはトン・キロベースで見ると日本の全道路貨物輸送量の約14パーセントを東名、名神が担っていることになる。 旅客輸送量では、同年度における東名、名神の全旅客輸送量は2億人であり、人ベースで見ると自動車による総輸送人数の0. 7パーセント、人・キロベースに換算すると自動車輸送全体の2. 5パーセントを担っている。 国道、都道府県道、市町村道を合わせた全道路は約100万 kmで、その内の東名、名神の路線延長は536 km、率にしてわずか0. 0005パーセントに過ぎない道路にこれだけの貨物と輸送人数が集中していることになる。 この一本の大動脈に対する異常な集中ぶりが日本経済にどのような影響を与えるのかを一部垣間見させたのが1979年(昭和54年)7月に発生したにおけるであった。 この事故ではトンネル内が丸2日に亘って燃え続けた挙げ句、事故から完全復旧に至るまで2か月を要したが、この間は並行する一般国道が代替道路として利用された。 だが、一般国道が東名のバイパスとなり得ないことは明らかで、これは同じ日本の大動脈である東海道新幹線と全く同様の弱点でもあった。 なぜなら、東名、名神、東海道新幹線とも、そのポテンシャルがあまりに図抜けているために、不通の際には並行する一般道路や在来線ではリリーフの役割が期待できないからである。 果たして、日本坂トンネルを迂回した車が国道1号やバイパスに流れ込んだ途端に、場所によっては40 kmの大渋滞が発生するなど麻痺状態に陥る有様であった。 なお、普段の国道1号における普通車と大型車の比率は概ね4対1であるが、日本坂トンネル事故の期間中は1対1となった。 つまり、普段20パーセント程度の大型車混入率が50パーセントに跳ね上がった訳で、これなど東名が普段からいかに大量の長距離大型トラックの輸送を担っているかを示す証左である。 この事故によって「」を採用するに対して部品や材料が時間通りに届かないことによる組み立てラインの停止など産業への影響が少なからず発生した。 地域によってはゴミ収集や郵便配達の停滞、果てはスーパーなどで売られる野菜や魚などが品薄になって値上がりするなど市民生活にも大きな影響が出た。 さらに外国から空輸され、東名、名神を使って関西に向かうが、愛知県海部郡弥富町(現・)から東京へ出荷されるが、酸素ボンベが空になったことにより全て死に絶えた。 なお、焼失した173台のうちの7割にあたる127台がトラックで、そのに刻印されていた地名は、東北地方を除いてほぼ日本列島の全域をカバーした。 そして焼けた積み荷の中身は、自動車部品、農産物、金属材料、ゴム、紙ロール、水産物、清涼飲料などあらゆる産業の材料、製品が含まれ、これによっても東名が果たしている社会的役割の一端を垣間見ることができる。 画像左 : 愛知県の渥美半島産の電照菊。 東京への輸送に東名を使用するが、摘花時間や出荷体制は東名の輸送時間を勘案して決めている。 画像右 : トヨタ自動車本社工場(愛知県豊田市トヨタ町)。 ジャスト・イン・タイム生産方式で自動車を製造。 当該工場は付近に位置するが、この付近には同社の工場が密集している。 東名は開通以来、日本の産業構造の一大転換をもたらした。 かつて名神が開通した当初は、交通量が期待したほどには上がらず「閑古鳥鳴く観光路線」と皮肉られたが 、それも東名と直結して間もなく事態は一変し、高度経済成長とも相まって国民、企業における自動車保有台数も飛躍的に増加し、その結果として産業のあり方は交通が定めることにつながっていった。 農家から大企業に至るまで、仕事の時間帯や生産計画は、取引先間との製品の輸送手段や輸送時間が左右するまでになった。 例えば、1980年ごろのに入荷する野菜のうちの半分近くは高速道路を利用して運ばれ、特に静岡、愛知、兵庫などの野菜生産地から東京への輸送は100パーセント東名、名神を利用しているが 、生鮮食料品であるが故に輸送時間が数時間でも短縮されることが生産、販売に決定的な意味を持ってくる。 一例では、野菜生産農家は取引先との輸送時間の短縮が農家の睡眠時間や余暇時間を規定し、高速道路を使った時間短縮効果によって出荷準備のために未明から作業を開始する必要がなくなることのメリットがある。 同様に、の輸送において、愛知県のは東京までの輸送時間から逆算して摘花の時間、出荷体制、作付面積までを決定している。 東名の慢性的な渋滞による輸送時間の延びは、こうした農家の生活の破壊につながりかねない。 東名、名神沿道には日本有数の自動車メーカーが幾つか存在するが、その生産体系は高速道路利用に大きく依存している。 の場合、完成車の生産拠点を各地に分散化のうえ、各拠点で各々異なった車種に特化して完成車を高速道路で全国に輸送するシステムを採用している。 これによって各拠点で他車種を生産する場合と比べて輸送量は増加するが、それでも敢えてその方式を採用するのは、各工場が特化と大規模生産から受ける利益を享受して、輸送費の増加を上回る生産費の節約を得られるからである。 トヨタでは輸送方式(かんばん方式)を採用しており、これは何千種類とある部品を関連工場から納入するに際して、高速道路を用いる少量、多頻度、確実を謳う生産方式である。 これによって、従来式では10トン車による1日1回の納入が、4トン車による1日4回の納入とすることで、組み立てラインの流れの速度に合わせて部品が納入され、部品が即時に完成車組み立てに繰り込まれていく。 この方式では部品工場も組み立てラインの流れと同期することになり、それは部品工場と完成車工場をつなぐ東名、名神もまたの流れの一部となることでもある。 こうして全生産工程を通じた在庫ゼロを達成しているが、これもホンダ同様に、道路輸送を多く用いながら全行程のトータルコストを切り下げる産業再編効果の現れである。 こうした動きは自動車産業のみならず、電気機器や音響機器などの他の機械産業にも波及しているが 、これらのシステムは高速道路利用による時間厳守の確実な輸送によって成り立っており、高速道路の慢性的な渋滞は合理的な生産システムの崩壊につながりかねない。 また、翌日に配達されるというのシステムも高速道路の力に負う所が大きく 、スーパーで売られる食料品の輸送も然り、休日における行楽地への行き来についても同様のことが言える。 この点で東名、名神が果たす役割とは、産業の効率化にとどまらず市民生活まで及んでいる。 それは小売店で食料品をはじめとした商品が当然のごとく並んでいる光景、余暇の使い方や自宅に荷物が届くという生活パターンが、高速道路の利用を前提として出来上がっていることを示し、東名、名神の渋滞や通行止めによる影響は市民の生活リズムの破壊にも直結する。 今ひとつの影響として、東名、名神の渋滞は東海道地域へのダメージにとどまらず、東名、名神とつながっている各地域の高速道路沿道にまで及ぶことである。 東北、北関東、北陸、中国、四国、九州の各地方が、その地域の高速道路と東名、名神を乗り継いで、東海道メガロポリス内の1都3県、東海4県、近畿4府県と交流することの県間交流の1日の量はかなりの数におよぶ。 先の日本坂トンネル事故で被災した車の大半がトラックであったこと、その車のナンバープレートに刻印された地名はほぼ日本の全地域に及んだ事例からも判るように、東名、名神の影響は東海道地域にとどまらず、全国に波及することを示している。 休憩施設の駐車マス不足も深刻化しつつあった。 画像左 : 海老名SA(上り側)。 画像右 : (下り側。 東名の渋滞対策がゆるがせにできない状態になりつつあった1980年代半ば、東名沿線3県に立地する企業へのアンケートを実施したところでは、入荷時間が不規則になった、納品の指定時間に間に合わなくなった、在庫管理に支障を来たしている、輸送費が増えた、との結果が得られ、その対策として輸送時間帯の変更、国道への一部転換や在庫量の積み増しが実施された。 このように東名、名神が果たしてきた輸送革命、生産革命に陰りが窺われてきた。 こうした渋滞に代表される交通量増大、および大型車両の増加は道路施設の負荷をもたらし 、特に橋梁床板や路面の損傷が顕著に現れてきた。 舗装の修繕は継続的に実施されているが、舗装経年数の増加や重交通化が進むなかで、流動わだち掘れ等による修繕サイクルの短期化が生じている。 工事は車線を一部規制して実施するが、そのために渋滞が渋滞を招く悪循環に陥ることになり 、その対策として交通量の少ない夜間および季節を狙って工事を行なうことで渋滞を抑える取り組みが実施された。 特にこの先は道路の維持に関わる工事が大きなウェイトを占めることになるが 、夜間における工事は沿道住民から工事騒音について強く苦情が寄せられるに至り、夜間工事も限界に近づきつつあった。 交通量増大によるサービスエリア、パーキングエリアの駐車マス不足も顕著であり、特に大型車のマスが大きく不足しており、原因としてトラック運転手の仮眠や時間調整のための長時間駐車を挙げることができる。 東京に近い港北PA、海老名SAなどは、ほとんど24時間満車で、車がマス外にはみ出して走行路に停車するなど違法駐車が常態化し、安全性の観点からも放置できない状況となっていた。 東名高速道路の日平均区間交通量の変遷。 1970年から1985年までの5年毎のデータで比較。 黄色線は設計基準交通量(日換算)で、東京 - 厚木間(往復6車線)は88,000台、それ以外(往復4車線)は48,000台である。 東京 - 厚木間では設計基準交通量を早くに上回り、既にキャパシティオーバーの状態。 1978年には全IC間で交通量が4万台を突破し、本図より後の1987年には5万台を超えるに至った。 ただし、図はあくまで年間のデータで、時期あるいは時間によってはこれを大幅に上回ることがある。 図中のインターチェンジは1985年時点であるため、未開業ICは反映されていない。 また、横浜ICは後に横浜町田ICに改称されている。 静岡市清水区由比地区付近。 画像左 : 一番海寄りの道路が東名高速、中央が国道1号、山寄りが東海道本線。 東名の当該区間は高潮により度々通行止めになる。 また沖を震源とする大地震が発生した場合は東名へのダメージが大きく、地滑りや津波の危険も存在する。 画像右 : 富士川から奥の由比海岸を望む。 海岸から5 km以内には東海道新幹線も並走しており、日本の大動脈が自然災害にさらされやすい地域に密集している。 東名の混雑度も当初は部分的に散見されたものが、1980年頃にはほとんど全線に亘って過密の状態に立ち至り 、日本の産業構造が東名、名神に支えられている状況を見るにつけ、いよいよこれ以上放置しておくことは出来ないレベルまで到達した。 そして渋滞のみならず、上記に見る日本坂トンネル火災事故をはじめとした交通事故、あるいは海沿いを走る静岡市清水区由比地区付近の台風やによる通行止めの頻発 、さらには、が発生した際には大動脈が一本だけでは経済面や災害対応でも大いに問題があることから、何らかの対策を必要とする時期に差し迫ってきた。 提言と四全総 [ ] 第26回国幹審で渋滞に悩む東名の大井松田 - 御殿場間の路線増強が決定した。 左側の片側3車線道路が増設された上り線。 右側は当初の往復4車線道路で、新上り線の開通を機に4車線全てが下り線となった。 1982年(昭和57年)1月、第26回国土開発幹線自動車道建設審議会(国幹審)が開催され、ここで交通量の増加に悩む東名、名神の一部区間の路線増強が決定した。 東名では自然渋滞の代表的な区間となっている大井松田 - 御殿場間の増強が決定され、一部拡幅のほかは基本別線で建設されることになった。 だが、一部専門家には混雑区間に的を絞った部分改良では問題の根本的解決にはなり得ないと不安視する意見もあった。 つまり、混雑区間が渋滞解消されたとしても、日本坂トンネル事故のようなどこで発生するかわからない大事故で東名が長期間不通になろうものなら収拾がつかなくなるというのである。 1982年(昭和57年)3月には道路審議会が建設大臣に建議という形で、21世紀を目指した道路づくりの提言を行なった。 1980年から下準備を開始して、この度ようやくまとめたものだが、その内の一つが東名、名神の部分的拡幅を行なうと同時に、長期的には第二東名、第二名神の建設を促す内容であった。 ここでも部分改良だけでは問題は解決しないとしているが、理由は東海道地域における交通は今後とも増えると見込まれることや、東名、名神が全国高速道路網のかなめの位置にあることから、各地方が3大都市圏と交流し、あるいは地方相互に交流する場合には東名、名神を使わざるを得ず、そこへ東名、名神の混雑があっては地域間の交流も妨げることにもなりかねない。 また、交通量増加によって道路への負荷もかかることで維持補修の必要も増し、これに対して大規模な交通規制を敷くことは渋滞を招来することになって流通の停滞、追突事故の増大など悪循環となる。 休憩施設も大幅な不足をきたしており、この現状を鑑みると、一部施設の改良や道路拡幅と並行しながら別線建設も検討する必要があると報告している。 この提言が直ちに第二東名、第二名神建設に結びつくことはなかったが、その翌年からは(四全総)の策定作業がによって開始されており 、これと絡んで少しずつではあるが第二東名の計画が具体化していくことになった。 なお、1983年(昭和58年)に当時のの総裁であった高橋国一郎は、償還の近づいている東名が他の高速道路建設のために通行料金の値上げに踏み切ったことへの批判を受け、プール制は維持するも混雑著しい東名についてはできうる限りサービス向上に努めると表明した。 サービス向上、すなわち本来であればこの時期に第二東名の建設を推進するべきではあるが、政府が全く行動を起こさないことから、とりあえず大井松田 - 御殿場間の6車線化に踏みきり、出来れば東名、名神を全線往復6車線化したいとの意向を雑誌の対談でもらす一幕もあった。 四全総が計画されていた頃、政治的にもっぱら問題となっていたのは、日米間におけると予想以上のにより発生した不況であった。 この対策としては、円高に弱い業態(造船、鉄鋼、石炭)をある程度あきらめて、産業構造の調整を図ることとされた。 また、これらの対外的な問題から、外需依存では立ちゆかなくなってきたことで、国内経済に依存する内需依存型経済を指向する必要が生じていた。 こうした背景の下、国内経済を刺激するためには東京一極集中ではなく、地方経済の独立化と活性化が必要となるが、その実現のためには高速交通体系の全国整備を図ることで地方部の位置的不利、空白地域を解消し、どの地域に対しても多角的で広域的な交流を可能とする「全国一日交通圏」を生み出すことが必要とされた。 そのために全国の主要都市間の移動時間を概ね3時間以内として、地方都市から複数の高速交通機関へのアクセス時間を概ね1時間以内にすることを目指すとした。 そのための高速交通機関の整備、すなわち空港やヘリポートの整備、情報、通信網の整備が計画されたが、道路については全国の都市、農村から高規格幹線道路(高速道路)までのアクセスを1時間以内とするような、これまで計画された高速道路の網の目をさらに細かくすることとされた。 これは地域によっては地域間の移動時間に格差があったためで、一例では従来計画の高速道路網7,600 kmが完成したと想定して、からとへ、すなわち酒田市から100 km圏内という同じ距離の都市へアクセスする場合、山形市は70分、秋田市は180分を要するなど大きな差が生じていた。 また地域によっては高速交通サービスに大きな格差が生じており、地方都市、農村から高速交通機関へのアクセスを概ね1時間としたのは、地域間の格差を無くし、地域間の競争条件を同一化のうえ、その先には国土の均衡ある発展を図るという狙いがあるからである。 そこで従来7,600 kmで計画された全国高速道路網は、今回計画の案件達成のために必要であろう6,220 kmを足して約14,000 kmに拡充されることになった。 また、こうした全体のネットワーク形成において障害となるのが混雑著しい東名と名神である。 先述通り、地方と東海道地域の交流において東名、名神は欠かせない道路であり、この両道路の障害は地方部の道路および経済活動にも影響する。 四全総が謳う主要都市間の移動3時間以内、全国一日交通圏にも影響が出ることで、全国ネットワークの要ともいうべき東名、名神についてはその代替路線としての第二東名、第二名神の建設が必要であるとされた。 こうして増加分が計画されたが、6,220 kmには採算性が悪い路線も含まれることから、これを全て日本道路公団(以下、公団)が引き受けると内部補助に問題が生じる。 このため、2,300 kmと3,920 kmに分けて公団引受け分は後者とすることになり、1987年9月の臨時国会で国幹道法の法律改正を目指すことになった。 なお、四全総は1987年6月に内閣によって承認され、第二東名、第二名神は14,000 kmの枢要部を形成する路線として位置づけられた。 国幹道法改正以後 [ ] 四全総の閣議決定をうけて1987年(昭和62年)9月1日に国土開発幹線自動車道建設法が21年ぶりに一部改正されて高規格幹線道路網は14,000 kmに拡大された。 図の黒線が従来の計画路線7,600 kmで、そこへ6,220 km(青線)と本州四国連絡道路180 km(青の破線)が新たに加わった。 そして加えられた路線網の枢要部と位置づけられたのが第二東名と第二名神(図の赤線)である。 今回新規加入の路線はそのほとんどが不採算路線と評されている (図典拠:『高速道路と自動車』第30巻第7号(1987年7月)、55頁)。 その中でも整備の緊急性、優先順位が最も高いと位置づけられたのが第二東名と第二名神である。 地方間を結ぶ交流ネットワーク推進のために、予定路線を11,520 kmに拡充するというのが四全総における一応の建前であったが、実態は高速道路を求める各地方自治体が地元の有力政治家に働きかけて半ば強引に計画路線に組み入れた結果が今回追加分 3,920 km の路線網である。 なお、かつて7,600 kmに制定された路線とは、一定の交通需要が見込めて採算ラインに載ることを念頭に選び、そこに人口分布なども勘案して定められた路線であって、それ以外の路線は不採算路線であることから建設省が除外した経緯がある。 なぜ不採算路線を計画から外したかと言えば、公団は高速道路建設にあたって税金投入ではなく、やを財源とする、および銀行から建設資金を借り入れてのち、通行料金で返済する「公団方式」を採用しているため、建設する高速道路の採算が悪ければ借金返済が滞って公団経営が悪化しかねないためである。 この公団方式と対をなすのが「直轄方式」で、一般国道の整備に国民の税金を投入してインフラ整備にあてるやり方である。 税金が投入されることから採算性はそれほど問題視されず、ゆえに通行量が極端に少ない地方にも国道が建設できるのである。 今回追加された3,920 kmの路線はそのほとんどが不採算路線とされ 、それも追加分の目玉路線が高コストの第二東名、第二名神とあっては赤字必至であることから、後述するように公団関係者の一部には経営を不安視する者さえ現れた。 第二東名、第二名神の予定路線は、四全総計画時点で示された高規格幹線道路網計画図によると、概ね東名、名神に並行して計画されているが、北端(付近)をかすめることと、を避けて側に寄せられるなど完全な並行とはなっていない。 なお、国幹道法改正の5か月前には、愛知県知事が元々一般有料道路として計画されていた豊田 - 四日市間の伊勢湾岸道路を第二東名、第二名神に取り込むための提案をしており 、政府も伊勢湾岸道路が東名、名神のバイパスになりうるとの判断から伊勢湾岸道路を第二東名、第二名神に取り込む決定を下した。 画像左 : 1998年(平成10年)4月時点の第二東海自動車道の計画概要図。 1989年(平成元年)に横浜市 - 東海市間216 kmが基本計画路線として制定されて以降、順次整備計画路線に格上げされていった。 図はその過度期のもの。 なお、IC、JCT名称は当時開通済みの名古屋南IC - 間を除いて全て仮称である。 路線は東名と並行して途中で連絡路を介して接続するダブルネットワークの形態が採用された。 典拠:『第二東名・名神高速道路 計画概要』日本道路公団、平成10年4月(蔵) 画像右 : 1989年(平成元年)2月に横浜市から東海市までの区間が第二東名としては初の高速自動車国道の路線に指定された。 画像は高速自動車国道の指定を受けた区間の最西端部(愛知県東海市新宝町)。 これより先、第二東海自動車道の終点部(名古屋市港区)までの約4 km区間は一般有料道路事業が先行したことから、高速自動車国道の指定からは除かれている。 建設省は第二東名、第二名神のルート確定に向けてさまざまな構想を練ったが、1988年(昭和63年)6月に公表したルートでは、東京近郊と大阪近郊の用地買収は困難として、当面はと間を構想し、それ以外は東名、名神を拡幅のうえ供用する案を出した。 この内の勾配抑制とは、自動車の性質からいって、下りはスピードが増して上りはスピードが落ちるという現象から渋滞発生要因の一つとされることで、可能な限り道路を水平に保って渋滞発生要素を初めから排除しようという考えによっている。 そして設計速度を高く設定すれば安全性を確保するために路肩を広くしたり、カーブや坂を減らす工夫を要し、結果的にコストの高い道路ができあがる。 この高い規格を指示したのは1986年(昭和61年)まで建設大臣を務めたとされ、「第二東名は立派な道路を造るよう指示した(中略)後世に誇れるような財産を造れと指示した」とNHKのインタビューで述べているが、同時に「安くという発想は全くなかった。 世界に誇れるものをということだけだった」とも述べている。 1989年(平成元年)2月には第28回国幹審で横浜市 - 間が基本計画区間(国幹道の予定路線のうち建設を開始すべき路線として策定されるもの )に格上げされ 、月内には第二東海自動車道横浜東海線として高速自動車国道の路線に指定された。 今回策定にあたり、過密が酷く用地買収が困難 、かつルートを巡って地元自治体との調整がつかなかった東京 - 横浜間(約30 km) 、および一般有料道路として事業中の東海 - 名古屋間(約4 km)は除外された。 この頃までには具体的なルートが検討されており、並行する東名、名神の代替性を重視して新旧両道の乗り移りを可能とする渡り線を設けることなどが計画された。 つまり、複数の連絡路で東名と相互に行き来できるラダー(状)とすることで、東名の一部区間で不通になった場合はこの連絡路で第二東名に移動して迂回路として活用することとされた。 また、両道路は近い位置で並行することから、一般道路においても各IC経由で相互連絡できる構造とした。 1991年(平成3年)12月にはの手続きが終了した静岡県 - 愛知県東海市間の216 kmについて、第29回国幹審の議決を経て着工前提の整備計画路線に昇格した。 そして1993年(平成5年)11月、長泉町 - 東海市間に建設大臣から公団に対して施行命令が下された。 だが、この規模にとどまる施行命令ではなかった。 日本道路公団始まって以来の最大規模の施行命令で、他の高速道路までも含んでその延長距離は1,184 km、事業費は9兆7000億円もの規模であった。 この中でも特に金のかかる第二東名、第二名神の建設費を工面し、他の採算の見込めない路線を建設して償還を達成するために公団は、1994年(平成6年)に高速道路の通行料金の値上げに踏み切った(実施は翌年4月)。 高コストの第二東名、第二名神のコスト低減を実現するために公団が打ち出したコスト緊縮策の一つが、橋梁建設にプレキャストセグメント工法を導入することであった。 愛知県と三重県の県境付近には当該工法で建設された第二名神の高架橋が幾つか存在し、この橋梁群を公団は広報誌で積極的に公表した。 画像は(下り線側)の展望台に使用されている本線建設に用いられたものと同型のセグメント。 値上げにあたり、公団は専門家に意見を聞いたうえでその値上げ幅を4割増と試算したが、認可を出す立場の建設省は、が崩壊して企業収益が軒並み悪化している中で、運輸業界を始めとする財界からの反発を予想し、前回値上げ時からこの時に至るまでの物価上昇率 約11パーセント)以内に値上げ幅を抑えたいとの意向を持っていた。 結果的に9. 7パーセントで落着したが、ここまで圧縮するために建設省は公団に一層のコスト緊縮策を迫り、道路建設に対して新技術導入による建設費削減などの努力を求めた。 公団はこうした要請に応えるべく、第二東名建設にあたって大型機械導入や新工法の積極的導入を図ったが 、これについてはで後述する。 それにしてもこの時期はバブル経済が崩壊して不況のただ中にあった訳で、それでも空前の施行命令が下された背景には、第二東名が景気浮揚の起爆剤につながるとの期待が経済界にあったからである。 なお、1996年(平成8年)12月に開かれた第30回国幹審で、新たな基本計画が策定されることになり、第二東海自動車道では東海 - 名古屋市間約4 kmが追加された。 これを反映して翌1997年(平成9年)2月には、高速自動車国道法による路線名が第二東海自動車道横浜名古屋線となった。 また今回の国幹審では、海老名 - 秦野間 、御殿場 - 長泉間 が整備計画認可を受けた。 そして残りの区間(秦野 - 御殿場間)も1998年(平成10年)12月開催の第31回国幹審で整備計画認可を受け 、当面の営業区間となる海老名 - 東海間の整備計画がこれで出揃った。 前述したように、公団内部には1987年(昭和62年)の国幹道法改正以後、高速道路ネットワークが11,520 kmに拡大されたことに対してある種の危機感を抱く者が少なからずいた。 危機感の根底にあったのは、今回の拡大によって不採算路線を多く抱きかかえたことと、それにも増してコストがあまりにも高い第二東名が正式に計画に盛り込まれたことにより、公団の存在そのものが吹き飛びかねないことにあった。 慢性的な渋滞により東名の機能低下が目立ってきていることで、その代替路線が必要なことは理解できるとしながらも、道路規格や事業の進め方には疑問を投げかけ、このままでは公団は倒壊するというのである。 果たして第二東名の建設が始まってみると、持てる技術を駆使して多くの「日本初」と「世界初」を実現しながらも 、コスト意識がない事業手法と体質が祟って公団の借金はうなぎ登りに増加することとなった。 第二東名への批判 [ ] 東名の大井松田IC - 御殿場IC間に所在する酒匂川橋。 当該区間は鉄道や道路との交差、急峻な地形、軟弱地盤が集中する東名随一の難工事区間という理由があるにせよ、曲線半径300 - 700 mのカーブや高低差を取り入れることで極力経済性を考慮している。 酒匂川橋もそのコンセプトからカーブを全橋に取り入れ 、限りなく水平、限りなく直線を目指した第二東名の考え方とは趣が異なる。 かつて東名の路線選定において建設省(計画初期は建設省が東名の路線選定を行なった)が留意したことの一つに、トンネル、橋梁などの長さをできる限り短く抑えることがあった。 トンネルは通常、道路においてあまり歓迎されない。 建設費用および諸設備込みの総額で地上の道路と比べて2倍から3倍の費用がかさむ。 橋梁は河川や水路を跨ぐためには必要で、さらに高速道路は立体交差を求められることから、一般道路や鉄道を跨ぐためには河川のみならず地上にも橋を架ける必要があり、この点で高速道路と橋は一体的であり、橋梁構造を完全に回避することはできない。 それでも深い谷間の通過において高い橋脚の建設はトンネルよりも工費が高くつき、この点から橋梁の長さを短く抑える取り組みが東名ではなされた。 そして東名では通過する地形条件に道路の線形をなじませる工夫がなされ、このために勾配やカーブも随所に取り入れられた。 また、幾つかの比較ルートを検討して経済比較を綿密に行ない、十分な判断材料のうえに最終的な路線を決定するプロセスがとられた。 一方、後年建設された第二東名はこれとは全く異なり、路線中に占めるトンネルと橋梁の比率は圧倒的に高くなった。 直線に近いことは山を避けることが出来ずにトンネルが多くなり、水平に近いことは山間部において非常に高い橋梁が必要となってくるが、これによって第二東名に占める構造物は全体の6割(東名は2割 )に及ぶことになった。 の上に道路を造る場合と違い、トンネルや橋などの構造物を造るには莫大な建設費用がかさむのである。 これに加え、第二東名は往復6車線のため、トンネル断面は往復4車線の東名と比較して2. 5倍となって、さらにコストが膨らむ結果となっている。 これによって第二東名、第二名神の1キロ換算の工事費は一般高速道路の5. 1倍(236億円)に膨れ上がり、総事業費は約10兆円(2002年当時)と見積もられた。 第二東名の構造基準は曲線半径3,000 mであるが、これは速度で第二東名を上回る東海道新幹線の曲線半径2,500 mよりも緩い。 この構造基準は1990年(平成2年)8月6日、当時の建設省道路局長の(後の日本道路公団総裁)の通達によって正式に定められた。 通常、政令にはない構造規格の道路建設にはの改正が必要となるが、藤井は改正手続きを飛び越えて局長通達1通だけで公団に対して指示を下したのである。 その結果が莫大な高コストとなって跳ね返ることになり、これには後年、が藤井に対して厳しく責任を追及している。 75 m 中央車線3. 75 m 右側車線3. 75 m 左3. 25 m以上 右2. 0 m以上 7. 75 m 中央車線3. 75 m 右側車線3. 50 m 左3. 25 m以上 右1. 75 m以上 6. 75 m 中央車線3. 75 m 右側車線3. 50 m 左3. 25 m以上 右1. 75 m以上 4. 2 km 161. 9 km 橋梁延長 24. 5 km 14. 0 km 31. 6 km 3. 0 km 25. なお、民営化推進委員会が第二東名のコスト縮減策を模索し始めた段階では既に6車線分で完成した区間が多く、規制速度や交通量の予測を精査することなしに建設に邁進した公団の姿勢に対してマスコミはこぞって批判を浴びせた。 用地買収もたけなわの頃、一つのニュースが新聞記事を賑わした。 静岡県浜松市の宅地が第二東名および県道建設予定地にかかることから、宅地をそれぞれ2つに分割した。 土地は元々一つであるから、分割された2つの土地は接している。 しかし、第二東名の用地は1平方メートルあたり55,000円、一方の県道用地は25,000円で売却したとすることで、公団が県道の2倍の高値で土地を購入していたことが判明したのである。 によって評価額の差異があるにせよ、通常は2割から3割程度とされるなかで、2倍から4倍の差がつくことは公団のコストに対する意識が希薄であるとの批判がなおのこと強まる結果となった。 今ひとつの批判として、第二東名の2001年度における建設工事の指名競争入札のうち、平均落札率が予定価格の98パーセント台という高率であったことも公団のコスト意識の無さを改めて印象づける結果となった。 指名競争入札であるから、公団が設定した予定価格(業者には非公表)より最も安い価格を提示した企業が落札するのが通常だが、予定価格の98パーセント台というのは競争が無きに等しい数値である。 予定価格が事前に業者に知らされ、業者間で落札する業者をによって決めていたと糾弾されても仕方の無い落札率である。 そして入札に参加した企業には公団のOBが天下っていたことから、業者と公団の癒着という構造が存在し、高速道路の高い建設費用と公団の借金が膨らんだ背景には、こうした公団の体質があったとされる。 第二東名は当面の起点を神奈川県海老名市(海老名南JCT)として、それ以東は住宅密集地帯のため一部で基本計画区間として策定されているのみで着工の計画はない。 しかし、東名の交通量は東京に近づくほど増大し、渋滞が酷くなることを考えると、海老名市起点では東名の補完道路としてどこまで有効であるのか疑問視された。 そもそも東名の渋滞解消が第二東名の主たる使命であるのに、東名の最混雑区間について第二東名はカバーしないのである。 前出の当時の道路局長の藤井が元公団総裁を訪ねて第二東名建設の是非を問うたとき、元総裁から第二東名の高コストを懸念され、東京側の入口の計画がはっきりしないならば造らない方がいい、との忠告を受けていた。 しかし、用地買収をも含めた計画がはっきりしないまま着工に踏み切り、これには公団内部からも見切り発車との批判が出ている。 公団民営化と第二東名の規模縮小を決定づけたのが当時の首相であった小泉純一郎とその閣僚による政策であった。 マスコミも政権の思惑と機を一にして高速道路批判に本腰を入れた。 第二東名建設に対して、建設省や事業主体の公団側にコストカットの意識が全く無かったかといえばそうではなく、1990年代初頭には高い構造規格を実現するには高コストになるため、橋梁に対するの採用などが早くから考えられていた。 公団発行の広報誌にはやたらとコスト低減を標榜した工法の採用や実績が示されている。 それにも関わらず第二東名や公団に対するマスコミおよび世間の風当たりは一層厳しくなった。 そして2001年(平成13年)には政権による「改革なくして成長なし」のスローガンの下、改革が推し進められ、その中でも特に国の財政支出が大きかった道路関係四公団が改革の急先鋒に位置づけられた。 これは道路関係公団が数多ある特殊法人の中でも特殊法人改革全体を牽引する先行7法人の一つにノミネートされたもので、同年12月の閣議決定では「民間に出来ることは民間に」の旗印の下、特殊法人等整理合理化計画が立てられて民営化の方針が決定するに至った。 そして、この民営化の形態等に関して翌2002年(平成14年)6月に「道路関係四公団民営化推進委員会」が設立され、民営化の方向性についての審議が開始された。 第二東名の施設はマスコミからともかく批判された。 画像左 : 新安倍川橋と葵大橋。 長さ1. 7 kmのこの橋は県道と第二東名の二層構造で、画像奥の川岸に新静岡ICが敷設されている。 インターを市街地から大きく外れた場所に造ったために新たな道路が必要になり、道路が増殖を続ける構図であるとして批判された。 別のマスコミはこの橋を皮肉を込めて「土木技術の展覧会の面もある」と書いた。 画像右 : 静岡市清水区和田島に架かる興津川橋。 200以上の橋梁建設に関わってきた建設作業員は、山の中でこうした大きい橋を造るのは初めてで驚いたという。 この橋の一山向こうに掘削された清水第三トンネルは公団が「第二東名の技術の結晶」と呼び、このトンネルの嘱託実験を請け負った大学教授が「唯一残った大規模な実験場だ」というインタビュー内容を皮肉交じりに記事化した。 ここでは公団の民営化に関する審議が目的であったが、同時に新会社の借金膨張の危険をはらむ高コストの第二東名、第二名神がやり玉に挙がった。 この頃には自民党、国土交通省から第二東名建設の一時休止案が出るに至り 、その理由として既に東名が整備されていることから、巨費を投じて代替路線を造るよりも、必要最低限のネットワークで十分という考えがあった。 国土交通省内部でも、第二東名が稼ぎ頭の東名の利用客を奪うことで、東名の利益を不採算路線に回すプール制が崩れかねないことを心配した。 また、5年前と比較して貨物車の輸送量が減少に転じ、これには生産拠点の海外移転や低成長に要因があるとして、四全総策定当時の東名の利用交通量は今後とも右肩上がりで増えるとの前提が崩れかかっているとマスコミが報じ 、さらには行革担当大臣のが第二東名を無駄の代表例に名指しするなど 、第二東名は政府、マスコミ、国民からも懐疑的な視線を投げかけられて四面楚歌の状態となった。 これに輪をかけたのが建設中の高速道路の採算性に関する試算結果で、国の整備計画 9,342 km が完成する翌年の2025年度における第二東名の収支について公団は、料金収入1,530億円に対して金利負担は1,530億円、これに管理費用390億円を差し引くと収支率125パーセントの赤字に陥るというデータであった。 この状況下で第二東名を擁護する立場にいたのが静岡県知事をはじめとした沿線の市町村長であったが、これはアクセス道路建設も含めて全面的に建設を支援し、既に1万人の地権者と用地買収契約を交したうえに多額の関連費用を投下している中で、今さら引くに引けない状況にあったためである。 静岡県内の観光業者も、シーズン中における東名の渋滞を憂慮して、その解消には第二東名が必要不可欠であるとして、仮に第二東名の建設が中止になった場合の観光業界に与える打撃の大きさを心配した。 第二東名批判が展開される中で、一方の東名の状況はといえば、慢性的な渋滞は相変わらずで、公団民営化の議論が行なわれていた間も日平均7万台のラインで推移し、開通当時の約4倍の交通量を保持していた。 静岡県区間ではあまりの混みように、第二東名建設凍結の議論が出た際は、建設推進派の促進大会で「首相は一度、東名を走ってみればいい」という声が挙がった。 また、静岡市内では建設推進の市民大会が雨のなか2千人が集まって開かれ、地方新聞はこれを報道するも東京のマスコミは見て見ぬふりをし、代わりに東京発信のテレビ局で報道される中身はといえば、車の通らない高速道路を何度も放映して暗に第二東名建設を批判する内容であった。 このように地方新聞は比較的地域住民の道路行政に対する考えを賛否を含めてストレートに伝えているが、東京のマスコミでは否定的見解をクローズアップするなど全く異なる視点で報道した。 これは中央発信の情報とは異なって、地方新聞が地域の実情をくんで編集することに由来し、第二東名の捉え方が東京と地方では大きく異なる原因の一つとされている。 第二東名建設見直し議論に一役買った道路関係四公団民営化推進委員会の対応も、公団の問題ある体質に触れるまではよしとしても、国土建設の根幹として専門審議会を経て政府が立案し、国会審議により決定した高速道路網をなぜ一委員会が自由に見直しまで決定できるのかという疑問が地方新聞で取り上げられている。 あるいは縦割行政の弊害として、地方には熊かタヌキしか通らないと揶揄される立派な林道や農道が整備されているなかで、それらの無駄な道路群と、第二東名をはじめとした高速道路網が同一視点で論じられたところにそもそもの問題があり、地方に高速道路を呼び込むのは社会資本の整備のためであって、決して地方のエゴではないという主張が地方の首長らによってなされている。 マスコミ報道の特徴の一つとして、時の権力者が意図する考えや方向に記者団がなびいて両者が一体的に動くことがある。 かつて官房長官が「今年は改革だ」と記者団とのオフレコ懇談で発言したとき、マスコミは一斉にそれに乗って農協を徹底的に叩いたことがあった。 そして今回、首相官邸が構造改革の名の下に郵政、道路関係四公団の改革を取り上げたときもマスコミはそれに乗った。 道路公団民営化推進委員会の一挙一動を群れをなして追いかけ、逐一報道した。 そしてこのタイミングで建設中および計画中の高速道路はマスコミの格好の攻撃対象となったが 、特に高コストの第二東名を徹底的に叩いた。 新聞は由比海岸の通行止めを回避するための代替路線ならばその付近のみ東名のバイパスを造ればよいと報道したが 、東名の通行止めはどこで発生するかわからないという視点はそこにはなかった。 行政改革担当大臣の私的諮問会議関係者の取材では「(東名の)渋滞が解消されるくらいで膨大な費用がつぎ込まれてはたまらない」という発言内容を特に考察を加えることも無く記事化したこともあった。 また、高速道路とはネットワークを形成することを前提に効果を算出して建設されるが、一部分が開通した状態では効果は期待できないのは当然であるにも関わらず、テレビの取材で地方の部分開通した高速道路が数えるほどの通行台数しかないことをリポーターが「無駄使いの典型」と画面に向かって叫ぶに至っては、ネットワーク効果を考えるというフェアな視点が全く欠落していた。 この機に乗じてマスコミは高速道路に採算性の議論を導入したが、これは海外の道路事情ならびに経済に精通する有識者の見解とは食い違うこともあった。 道路はインフラであって採算性のみ拡大して捉えるのではなく、道路が地域社会の生存や発展の前提条件であって、何よりも最低限の機会の保証であるから、そうした公正の観点(四全総で謳われた全国の都市農村地区から概ね1時間以内で高速交通機関に到達できるネットワークの確保もその内の一つ)から道路の効果を考えるという視点がマスコミにはなかった。 このように第二東名を含めた高速道路に対するマスコミの批判は、多分に一面的な見方に偏る傾向が見受けられた。 1989年から2005年までの東名の日平均交通量の変遷。 全国紙の新聞社が指摘するように1990年代以降の東名の交通量は横ばいである。 しかし、1969年の全線開業時点と比較すると約4倍の交通量で、区間によっては適正交通量を1万台から3万台上回っている。 東名の交通量増加による機能麻痺の問題は「横ばい」という理由だけで置き去りにされ、東名の代替ルート建設に対しては厳しく批判するというのが2000年代に入ってからの状況であった。 なお、1989年(平成元年)時点における全国紙の新聞社の報道では、当初計画された道路容量をはるかに上回る交通量が東名に殺到するなかで、大型貨物車両の台数も大幅増となったことで路面や橋梁の損傷も加速度的に増加し、規制を入れて補修しようにも、さらなる渋滞を誘発するために大規模な補修は不可能というこの状況を「限界を超えている」と表現した。 その後の東名が1989年時点の「限界超え」にさらに1万台を上乗せし、1998年(平成10年)の渋滞発生回数も1984年(昭和59年)の約2倍に迫ろうとする状況であるにも関わらず 、その新聞社は、東名の交通量は横ばいで貨物量は減少傾向にあり、今後とも東名の交通量は右肩上がりで推移するという四全総策定当時の前提が揺らいでいるとして、第二東名は不要という論調に傾倒していった。 このように破綻寸前の東名に対して、政治もマスコミも、東名の負担軽減のための代替ルート建設に対しては否定的な見解を出すなど冷淡であった。 そもそも東名とは、名神も含めてその沿線地域が日本全体の中で社会・経済活動に占める割合が非常に高く、全国高速道路網の10パーセント弱に過ぎない路線に対して旅客輸送量は25パーセント、貨物輸送量は38パーセントに達するなど異常な集中をうかがう路線である。 そうした日本経済の屋台骨を担う大動脈が恒常的な渋滞によって機能麻痺に陥っているということ、および路線の一部で通行止めが発生するなどして物流動脈が切断さた場合、それが日本全体にとって何を意味するのか、という問題に対しては正面切って向かい合おうとはしなかった。 一方で公団と国土交通省がはじき出した2020年時点における第二東名、第二名神の通行量は約5万台と予測され、これに東名、名神を合わせると約11万4千台とされた。 直近5年間の通行量がほぼ横ばいであったことから、予測時における東名、名神の交通量約8万台の1. 5倍に増えるのは過大予測ではないかとの指摘が挙がり、仮に第二東名、第二名神が5万台であったとしても、往復4車線で十分とされた。 こうしたことから2002年(平成14年)11月、国土交通大臣は第二東名の交通量や最高速度が曖昧なまま工事が続けられている状況を鑑み、全線6車線を4車線に見直し、最高速度の見直しも図る見解を示したが、これは建設凍結を回避するための代替案でもあった。 結局、政府は2003年(平成15年)3月に第二東名、第二名神の規格見直しを決定し、第二東名の場合、豊田以東は基本往復4車線で建設されることになった。 第二東名の総事業費は当初約6. 6兆円とされたが 、今回の見直しにより1兆円規模の経費削減が可能とされた。 これは2003年(平成15年)12月に開催された第1回(国幹会議:それまで総理府に設置されていた国土開発幹線自動車道建設審議会〈国幹審〉を国土交通省内に新たに設置のうえ改称したもの )によって議決された。 なお、日本道路公団は2005年(平成17年)10月に民営化され、第二東名の建設は(NEXCO中日本)が引き継ぐことになった。 代替ネットワークに見る諸外国の事例 [ ] 画像左 : アウトバーン路線網(1990年当時、図典拠 :『高速道路と自動車』1992年7月号、37頁)。 ミュンヘン - ケルン間などの都市間では複数の代替路線が用意され、いずれかのリンクが遮断されても大きな迂回が生じないようになっている。 図ではA61号線のアールバイラ-とメッケンハイム間に渋滞が発生したことで、それより手前のコブレンツJCTで迂回推奨の標識を提示してラダーとなるA48号線を経由してA3号線で迂回することを示している。 こうした迂回制御のシステムは1975年頃には運用を開始している。 2000年代初めに東名の代替路線としての第二東名建設に、政治やマスコミ、国民が批判を浴びせるよりもはるか以前にドイツでは代替路線の重要性を認識していた。 画像右 : 進路の先に渋滞があるため、デッケンドルフないしへの代替ルートを推奨する可変式本線案内板。 オレンジ色の船形マークはアウトバーンの迂回推奨を示し、アウトバーン利用者にとっての代替ルート表示のシンボルとして理解されている。 STAUは「渋滞」GEFAHEは「危険」の意味。 画像左 : 第二東名開通以前の東名の代替高速道路は中央自動車道であった。 両路線間にはラダーとなる連絡路がなく、格子状ネットワークを形成していない。 このため、アウトバーンに見る迂回機能を十分に発揮できないでいた。 画像右 : 並行路線があるだけでは迂回路としての機能は弱く、路線の一部区間で通行止めが発生すれば路線全体に影響が及ぶ。 しかし並行する路線間をラダー方式で接続すれば、路線の一部で通行止めが発生してもその影響は限定的となる。 当時の日本の高速道路の弱点は、高速道路間がラダーで結ばれていないことにより、幹線交通のネットワークがいざというときに、代替路線に交通を流し得る機能を十分持っていないことにあった。 四全総が策定されて第二東名の計画が具体的に動き出すよりも以前に、既に危機的状況にあった東名、名神の交通量増加による機能不全を踏まえ、有識者が着目したのは外国の高速道路事情であった。 かつて名神の建設に対してドイツやアメリカの技術者を招聘して高速道路建設のノウハウを学んだように 、高速道路の運営面についても特にドイツの先進的なノウハウに自然に目が向けられることになった。 日本では大変な批判を浴びた東名と第二東名の関係になぞらえるダブルネットワークの形態は、道路先進国のドイツではごく普通に見ることができる。 やと間約600 kmを結ぶは、をはさんで2本存在し、あるいはボンから、、を結ぶ路線についても同様で、いずれも途中でラダー(これもアウトバーンである)に結んだネットワークを形成している。 この結果、都市間を結ぶどのリンクに障害が生じても代替ルートが提供されており 、例えばアウトバーンには迂回を推奨するオレンジ色の船形マーク 、ないし「Umleitung」(迂回路の意味 )の文字にを組み合わせた緊急の迂回道路を示す可変式標識があって 、ルートの一部で渋滞または事故があった場合は、ドライバーが標識ないしラジオで情報をキャッチして直ちに迂回道路に回るというシステムが構築されている。 このように解消の望みのない渋滞に巻き込まれた交通を、交通容量に余裕のある並行路線に誘導するのが迂回制御システムで 、この迂回制御が実施されるタイミングとしては、渋滞による旅行時間の損失が、迂回ルートをとった場合の旅行時間の増加分を上回ると予想された場合に開始される。 この迂回制御システム考案のきっかけは、1960年代後半からアウトバーンの渋滞が目立つようになったことから、高速道路の効率的で安全な交通運用を目指そうという機運の高まりによる。 これを受けて、1970年に交通制御の基本方針が策定され、この内のひとつが迂回制御を行なって道路網上の負荷の均一化を計り、渋滞解消のための道路拡幅等の改良工事の緊急性を低減、建設計画の弾力性を高めようという狙いであった。 こうしたラジオや標識を使った迂回システムは1975年(昭和50年)までには早くも実施されており 、日本の場合はドイツより大きく出遅れて1982年(昭和57年)7月に(現、)よりハイウェイラジオの実験局の免許認可が下りている。 同年12月からは東名で試験運用を開始しているが、そもそも迂回路がないために放送内容はもっぱら渋滞距離や事故発生案内に終始した。 では - 間約400 kmに、経由と、経由の2本の高速道路が敷設され、こちらもラダーで結ばれている。 アメリカも同様であるが 、例えば - 間には高速道路が4本あって、その理由の一つに、アメリカが他国から攻撃を受けた場合、1本では物流を断たれてしまうことで、国家安全保障の観点も含めて複数の代替路線が用意されている。 アメリカの考えでは、自国の利益を守る道路は公共財であって私的財ではない。 第二東名が採算が取れない赤字路線であるという先述のデータも、道路とは公共財であるゆえに採算性の議論を第二東名に当てはめるのは間違いであるとする専門家の意見もある。 なお、1980年代におけるイギリスやアメリカの道路整備状況は決して良好とは言えず、アメリカに至っては荒廃が目に余る状況であったとされるが、そうした国でさえ補完道路を含めた幹線ネットワークがしっかりと整備されていたのである。 ひるがえって日本の場合、主要幹線高速道路に並行する代替路線と相互連絡する道路もない状況で国内経済を下支えしていたのであるから、頻発する交通集中によって多額の経済損失を被る結果となっていた。 なお、第二東名開通以前の東名には、(中央道)というバイパスルートがあったにせよ、東京 - 小牧以西間を通しで利用する交通は少ないと見られることから、中央道が東名のバイパス機能を完全には果たすことは出来ないとされた。 また、中央道と東名が途中で連絡路を介して相互に行き来できないことも、中央道が東名のバイパスとして機能しない要因の一つであった。 日本の場合、高速道路は一本の路線で結ばれているだけなので、もし事故等で一部区間が閉鎖された場合、その道路全体の機能を著しく低下させることは 既に日本坂トンネル火災事故によって実証済みである。 そうした事態が発生しても大きな支障を生じないようにするためには、並行する幹線高速道路間を結ぶラダー状の連絡路を建設のうえ、代替路を多く確保しておくことが重要となるが 、東名と第二東名、中央道を相互に連絡する2本の横断自動車道(三遠南信自動車道、中部横断自動車道、および連絡道路)の建設はこうしたネットワーク確保の意味がある。 代替ネットワークを形成することで、一本の道路に頼る場合と比べていざという時の機能麻痺をカバーすることが可能となるのである。 開通後 [ ] 第二東名としては中京地区が最も早い開通を見たが、東京 - 名古屋 - 神戸間の国土軸を形成するのはしばらく後のことで、当面は当該地区のネットワーク構築が優先されることから 路線名も伊勢湾岸自動車道を称した。 画像左 : 第二東名として最初の開通区間である名古屋南IC - 東海IC間(東海市名和町)。 画像右 : 伊勢湾岸自動車道の名古屋港方面をから望む。 第二東名としては1998年(平成10年)3月に - 間が最も早く開通したが、この区間は名古屋都市圏の幹線道路網構築を優先するとの意味から 当面は「伊勢湾岸自動車道」を称することになり 、2005年(平成17年)3月までにこの路線名で豊田東JCT - 東海IC間(西はまで)が全通している。 一方、伊勢湾岸自動車道を除いた区間についてNEXCO中日本は、2011年(平成23年)8月にその開通見通しを2012年(平成24年)初夏として、道路名称を仮称の第二東名高速道路から新東名高速道路に決定した旨をプレス発表した。 開通を目前にしてもマスコミはなお、新東名に対する懐疑的な見方を持った。 並行する東名の渋滞解消に貢献するとしても、高コストの新東名がそれに見合う交通量の確保が出来るかは疑問であるとした。 1990年代半ば以降、東名の交通量は頭打ちで、日本国内の新車の販売台数も1990年代半ばの6割近くに落ち込むなど、将来の交通量の大幅な増加を見込めない状況にあったからである。 画像左 : 新東名として2012年に開通した静岡県区間の島田金谷IC付近。 ICやSA等の分合流箇所では付加車線追加として当初から片側3車線で運用。 画像右 : 岡崎SA付近。 愛知県区間は用地は往復6車線で取得済みだが構造物は往復4車線仕様。 このため静岡県区間と比べると幅員は狭い。 そして2012年(平成24年)4月、御殿場JCT - 三ヶ日JCT間(161. 9 km、本線144. 7 km、連絡路17. 2 km)が総事業費2兆5710億円 、施行命令から18年5か月を費やして開通した。 約162 kmという、これまで開通した日本の高速道路のうち、一度の開通としては最長であったことで、NEXCO中日本ではこれを「史上最長の作戦」と呼んで、一丸となって工事完成にこぎ着けたとする。 かつて新東名が批判にさらされていた頃、建設途上の、一見して効用が判らない橋脚を利用して無駄の見本市であるかのような報道をされたこともあり、今回はその試練を乗り越えての開通となった。 今回開通により、東名において行なわれていた改修工事について、新東名への迂回路が完成したことで長期規制を伴う大規模老朽化対策工事 の実施が可能となった。 これまでは工事期間を限定した集中工事方式を採用せざるを得なかったが、それも今回開通によって資材搬入や施工範囲に制限がない重点的な工事が出来ることになった。 そして、今回開通区間は東名の由比地区における台風、高潮における通行止めの際の代替ルートを担うことが特徴となっている。 開通後1年間における効果としては、東名と合わせた利用台数が約8万3000台と開通前より14パーセント増加した。 そして、静岡県内の東名で発生していた10 km以上の渋滞は9割減少した。 以前は東名を走行していた長距離を走るトラックは起伏やカーブが少ない新東名に移行したというデータも示された。 当該区間は2003年(平成15年)の第1回国幹会議で新東名の車線縮小が議決される以前から着工、概ね完成していた経緯から、暫定往復4車線運用とはいえ、路肩側に1車線分の空間が余るという広幅員路線となっている。 のちに当初から往復4車線断面で開通した愛知県、神奈川県内の区間と比較すると、静岡県内の区間の広さが際立つ結果となっている。 2016年(平成28年)2月には浜松いなさJCT - 豊田東JCT間 55. 2 km が延伸開通して伊勢湾岸自動車道と接続された。 当該区間は暫定4車線(完成時6車線)で整備された。 開通から1週間のデータでは、並行する東名の渋滞発生回数が前年同月では13回であったものが開通後は発生せず、ダブルネットワークの効果が早速現れた。 また、2017年(平成29年)4月に公表された開通5年間の効果としては、御殿場 - 豊田間における渋滞の時間的損失は、2011年比約9割減の約150万台・時間となった。 2016年度における利用台数は約9万2000台で、大型車は約3割を占めた。 事故率はNEXCO中日本管内の平均に対して36パーセントと低く、カーブや勾配が緩いことが貢献しているとされる。 沿線の工場立地も加速し、2016年には静岡県では74件と全国首位となった。 2018年(平成30年)1月には神奈川県内としては最初の供用区間となる海老名南JCT - 厚木南IC間 1. 5 km が開通した。 僅か1. 5 kmの距離であるため、4車線(暫定形で用地は6車線確保済)では車線変更が伴うことで、厚木南IC - 伊勢原JCTまで開通した2019年3月までは片側1車線の運用としていた。 施行命令を受けている区間としては、新東名にとって海老名南JCTが当面の起点となる。 2018年(平成30年)8月には御殿場JCT - 浜松いなさJCT間の6車線化が決定された。 渋滞対策ではなく、自動運転の一形態である「トラック隊列走行」の実現を見据えたものである。 なお、この区間は一部を除き6車線分の道路施設がほぼ完成した状態で4車線による整備計画に変更された経緯があり、の設置により4車線に減らされている区間が多いことへの批判があった。 2019年(平成31年)3月、厚木南IC - 伊勢原JCT間4. 3 kmが開通し、伊勢原JCTから東名と新東名の二つのルートで圏央道にアクセスできるようになり、各所の渋滞緩和に寄与することとなった。 年表 [ ]• (46年) : 建設省が第二東名の計画調査を開始。 (昭和57年) : 建設相の諮問機関、道路審議会が第二東名、第二名神の建設を提言。 (昭和62年)• : の閣議決定により、 第二東名自動車道として東京 - 名古屋間が高規格幹線道路に構想される。 : の一部改正により、 として東京都 - 名古屋市が国土開発幹線自動車道の予定路線となる。 (元年)• : 第二東海自動車道横浜東海線として横浜市 - 東海市が高速自動車国道に指定される。 : 基本計画が決定する。 (平成3年) : 長泉沼津 - 東海間の整備計画が決定する。 (平成5年)• : 長泉沼津 - 東海間に施工命令が出る。 : 長泉沼津IC - 豊田東JCT間の工事に着手する。 土木工事がほぼ完了した新東名高速道路(静岡県、2009年5月撮影)• (平成8年) : 海老名南JCT - 秦野、御殿場JCT - 長泉沼津間の整備計画が決定する。 (平成9年)• : 第二東海自動車道横浜名古屋線として横浜市 - 名古屋市が高速自動車国道に指定される。 : 御殿場JCT - 長泉沼津IC間に施工命令が出る。 (平成10年)• : 御殿場JCT - 長泉沼津IC間の工事に着手する。 : 名古屋南IC - 東海IC間が第二東名として初めて開通。 : 海老名市 - 伊勢原市間に施工命令が出る。 : 海老名南JCT - 伊勢原北IC間の工事に着手する。 12月25日 : 秦野IC - 御殿場JCT間の整備計画が決定する。 (平成11年) : 伊勢原市 - 秦野市間に施工命令が出る。 (平成12年) : 伊勢原北IC - 秦野IC間の工事に着手する。 (平成15年)12月25日 : 第1回(国幹会議) で整備計画の変更(コスト削減)が決定する。 (平成18年)• : 事業許可および機構協定締結する。 : 秦野IC - 御殿場JCT間の工事に着手する。 (平成21年) : に発生したでが通行止になり、その影響で特に混雑が著しいの渡河区間において、建設中のを緊急通路として開放する。 (平成23年)• : 静岡SAスマートIC、浜松浜北スマートIC(現・浜松SAスマートIC)の設置が許可される。 : ()が発生し、東名高速道路および並行するが通行止になり、建設中の藤枝岡部IC - 新富士ICの上り線を緊急輸送路として活用する。 : 道路名称が 新東名高速道路に、御殿場JCT - 浜松いなさJCT間と清水連絡路および引佐連絡路の各施設の名称が正式決定する。 : 静岡SAスマートIC、浜松浜北スマートICの名称がそれぞれ静岡SAスマートIC、浜松SAスマートICに正式決定する。 2016年には浜松いなさJCT - 豊田東JCT間が開通。 画像は開通間近の付近(、2016年2月11日撮影)。 (平成24年) : 御殿場JCT - 浜松いなさJCT間、清水連絡路の清水JCT - 新清水JCT間、引佐連絡路の三ヶ日JCT - 浜松いなさJCT間がそれぞれ開通し、これまでに開通した日本の高速道路で一度の開通延長が最も長い区間となる約162 が開通する。 (平成26年)• : 遠州森町スマートICが供用開始する。 : 2014年度末に開通予定だった浜松いなさJCT - 豊田東JCT間の開通予定年度を2015年度末に見直すことを発表する。 : 浜松いなさJCT - 豊田東JCT間の各施設の名称が正式決定する。 (平成28年)• : 浜松いなさJCT - 豊田東JCT間が開通する。 : 2016年度末に開通予定だった海老名南JCT - 厚木南IC間の開通予定年度が2017年度末になると発表する。 : が新静岡IC - 森掛川IC間(50. (平成29年)• : 駿河湾沼津スマートICが供用開始する。 : 2017年度に供用開始予定で仮称だった厚木南ICの名称が正式名称として決定する。 2018年には静岡県区間の本線で6車線化の事業許可が下りた。 画像は拡幅工事中の三岳山トンネル付近(浜松SA - 浜松いなさJCT間)。 (平成30年)• : 海老名南JCT - 厚木南IC間が開通する。 : 2018年度に開通予定だった伊勢原JCT - 伊勢原北IC間の開通予定年度が2019年度になると発表する。 : 御殿場JCT - 浜松いなさJCT間の6車線化について国土交通省より事業許可を受ける。 (平成31年)• : 伊勢原JCT(仮称)と伊勢原北IC(仮称)の名称がそれぞれ「伊勢原JCT」「伊勢原大山IC」に正式決定。 : 新清水JCTで中部横断自動車道と接続する。 : 厚木南IC - 伊勢原JCT間が開通する。 (2年) : 伊勢原JCT - 伊勢原大山IC間が開通する。 開通予定年度 [ ]• 度(2年度) : 御殿場IC - 御殿場JCT 、御殿場JCT - 浜松いなさJCT 6車線化• 度(令和3年度) : 伊勢原大山IC - 秦野IC• 路線状況 [ ] 静岡県富士市内。 往復6車線を前提に着工され、開業時は暫定4車線に縮小、運用された。 このため路肩側に1車線分の余裕があり、これがその後開通した愛知県内、神奈川県内区間と比べると広く感じる要因となっている。 前述した通り、本路線は(清水連絡路・引佐連絡路は完成4車線 )での供用となっており、に6車線化のための用地が確保・舗装されている区間もある。 静岡県内の一部区間では5車線や6車線に拡幅されているが、現時点では付加車線扱いとなっている。 付加車線の延長は上下線ともに概ね50 kmで、静岡県内区間の約3分の1が片側3車線となっている。 付加車線は主に自然渋滞の発生が見込まれるインターチェンジ付近やジャンクションの合流部、サグ区間で、短い区間で約3 km、長い区間では約14 km連続する。 この区間では大貨等・三輪・牽引の最高速度とそれ以外の車種の最高速度の標識がそれぞれ設置されている。 新東名では全体的な幅員がアウトバーンと概ね同等となっている。 図の新東名は大都市圏間A規格を、アウトバーンはRQ37. 5タイプを用いた。 図中のRQ37. 5とはRegelquerschnitt(断面の規準)の略で、この基準を元にアウトバーンは建設される。 5は道路の幅員を指す。 図典拠:『アスファルト』第36巻第176号(1993年)、社団法人日本アスファルト協会、17頁・『土木学会論文集』No. 444、VI-16、pp1-9、1992年3月、5頁、『高速道路と自動車』第25巻第4号(1982年4月)、64頁 本線• 道路規格 : 第1種第1級(海老名南JCT - 御殿場JCT、浜松いなさJCT - 豊田東JCTは暫定施工時: 第1種第2級 )• 幅員 : 3. 50 (暫定) 、3. 75 m• 左側 : 2. 50 m - 3. 00 m• 右側 : 1. 25 m - 1. 75 m• : 2. 25 m - 4. 50 m• : 標準値3,000 m• : 標準値2. 車線数 : 暫定4車線(完成6車線) 連絡路• 道路規格 : 第1種第3級、第1種第2級• 最小曲線半径 : 標準値3,000 m• 最急勾配 : 標準値4. かつて建設省職員が警察庁交通局幹部と連れだって高速道路の管理の調査のためにドイツを訪れたことがあったが、その際の日本側の「なぜ速度制限を入れないのか」というアウトバーン管理者への問いかけに対し、「それは政治の問題である」という返答をされたことがあった。 すなわち、高速道路の使い方は産業の立地や配置を規定することにつながり、つきつめれば国土のあり方を規定することであるから、それは政治の課題であるというのである。 日本では速度規制は警察が決定するが、これに対して1988年頃に自動車メーカーの広報担当者が、日本の警察による厳しい速度規制に対して週刊誌のインタビューに次のような主旨で応えている。 「日本では事故が起きれば警察の責任にされることから、それを回避するために速度規制を厳しくする、スピードを下げれば事故が少ないと信じている」と手厳しく警察の対応を非難している。 なお、1971年から1986年までの日本の高速道路と速度無制限のアウトバーンとの10億走行台キロあたり死者数を比較したデータによれば、両国にそれほど差が無いことが判明している。 これは速度が事故率を押し上げる唯一の要因では無いことを暗に示している。 ドイツでは速度の取り締まりよりも、高速走行時の危険運転行為に対して厳しく対処する傾向があるとされ、摩耗したタイヤ、急な車線変更、追越時以外の追越車線の走行などに処罰を下すとされる。 後年、警察庁は、国土交通省の担当者や学識者らをメンバーに加えた「規制速度決定の在り方に関する調査研究検討委員会」において、高速道路やの引き上げを(18年)から3年がかりと長期間かけて検討を行ったが、高速道路の制限速度については「上限を上げるにはさらなる検証が必要で、直ちに上げる必要はない」と見送りという方針を示した。 ただし、有識者として会議に出席したが専門の中村英樹()は制限速度引き上げに肯定的なコメントを出している。 5 km とすることが発表された。 それから1年経過してのちに静岡県警から発表された事故発生件数によると、速度引き上げに起因する大きな事故の発生はなく、前年同月比では概ね横ばいという。 暫定4車線区間の6車線化対応方法 [ ] 新東名の暫定4車線区間における完成6車線化の施工図。 典拠:『橋梁と基礎』第49巻第8号(2015年8月)、24-25頁。 歴史節で先述した通り、新東名はその高い建設費用が世間の批判を浴びたことで、2003年(平成15年)に開催された第1回国土開発幹線自動車道建設会議で当初計画の往復6車線から暫定往復4車線に縮小することが議決され 、2004年(平成16年)の整備計画変更で正式に計画に盛り込まれた。 さらに2006年(平成18年)の整備計画変更によってさらなるコスト縮減に取り組むために、それまでの第1種第1級A規格の往復4車線から第1種第2級B規格の往復4車線にサイズダウンすることとされた。 この決定を見たとき、静岡県内区間は既に大半が6車線サイズで完成していたことから、橋梁、トンネルは6車線サイズで施工のうえ、一部で車線のみ縮小して暫定4車線で運用されている。 一方で愛知県内と神奈川県内の区間は、当初から往復4車線による施工であることから、横断構成は縮小されている。 よって、トンネルや橋梁も往復4車線(片側2車線)のサイズで施工されている。 既に往復6車線化が決定した静岡県内区間は全線6車線サイズで施工済みであることから、拡幅工事もそれほど大規模ではないとされる。 これに対してそれ以外の区間は、将来の拡幅の事業許可が下りた暁には2通りの拡大方法が採られることになっている。 1つは盛土や橋梁を両側に1車線分ずつ拡大する方法で、これを単一断面と称する。 拡幅においては橋梁の場合、両側に床板を付け足すことになるが、この際は斜材(ストラット)を追加することになっており、暫定施工では既にストラットを追加するための準備工事が施工済みである。 もう1パターンは分離断面と称され、これは既存の往復4車線道路を片側3車線化のうえ、その隣に3車線の別線を建設する方法である。 主としてトンネルが連続する山岳区間では後者が採用されることになっている。 よって、既存の2本のトンネルの他に片側3車線の大断面トンネルをもう1本掘削することになっている。 道路施設 [ ] インターチェンジ [ ] 新東名の全SAと清水PAに冠されたブランド「NEOPASA」のロゴマーク。 区間内の全ての SA と PA は「」(ネオパーサ)のブランド名で施設を展開する。 このブランドは新東名(御殿場JCT - 三ヶ日JCT間)開通に合わせて立ち上げたもので、既存施設の概念を超えた全く新しいエリアとしての「NEO」と、パーキングエリアの「PA」、サービスエリアの「SA」を組み合わせたものである。 ロゴマークは新東名をイメージした流れるようなスピード感と、未来に導くマークとしてのきやびやかな星としている。 これは既にオープンしている「EXPASA」(エクスパーサ)に続くブランドである。 新東名のSA、PAは、各地域の特性を考慮したコンセプトや特徴を持たせており、地元と連携した活動を行なっている。 このため、施設内では地元の名店等を配置して地域の発展に貢献するとしている。 また、SA、PA周辺の地元民も「ぷらっとパーク」を通して一般道からの利用が可能である。 さらに、長距離ドライバーのためのドライバーズ・スポットを用意し、そこでは軽食、リフレッシュブース、シャワー等を用意している。 売店は全てのサービスエリア・パーキングエリアに設置されている。 ガソリンスタンドは全てのサービスエリアにあり、全て24時間営業である。 普通車はセルフ式である。 24時間営業の売店は全てのSAと遠州森町PA上り線と藤枝PA下り線を除く全てのパーキングエリアにある(駿河湾沼津SAの上下各1店舗と藤枝PA上り線を除き全てである)。 飲食店は全てのサービスエリアと清水PAの一部店舗で24時間営業である(サービスエリアでは持ち帰りのみ24時間営業店舗あり)。 富士市では、駿河湾沼津SA - 新富士IC間に位置する神戸(ごうど)地区に休憩施設の設置(追加)を目指し、住民運動が行われている。 また、静岡県商工会議所連合会は静岡県に設置を要望しており、静岡県知事の川勝平太は既に中日本高速道路に要望している旨を明らかにしている。 巨大ダンプカーの一例(新東名で使われたダンプカーはこれよりも若干小さい)。 新東名静岡県区間開通前のイベントではキャタピラー社のダンプカーが展示された。 東名が比較的海岸線近くを走っているのに対し、新東名は人口の集中した市街地を避けるべく山寄りに建設されている。 これよりもさらに山寄りに建設すれば山岳区間が多くなることでトンネル長が5,000 mを超過するため、第46条第3項に基づきの通行制限が適用される。 このことから新東名のルート選択についてはこれらの条件を勘案して選定されている。 ルートを山寄りに位置づけたことで、工事関係者の間ではルートの構造物別比率として「トンネル2、橋梁4、土工4」と言っているが 、ルートに占めるトンネルと橋梁の比率は東名と比較すると高めである。 巨大ダンプカーの最大積載量は50トンで、大型ダンプカーの積載量(10トン)の5台分に相当する。 バックホウの場合、バケットが1回ですくい上げる土の量は10立方メートルで、一般的な1. 2立方メートルタイプのおよそ8倍である。 も巨大で、前面の土を押し出す排土板の横幅は4. 8 mで、普通のブルドーザーの3台分に匹敵する。 大型ゆえ、機械のレンタル料および、分解、組み立てには相当の費用を要するにも係わらず採用されたのは、それを補ってあまりあるメリットがあるためである。 こうした超大型機械を使用するメリットとは、少ない人件費で効率よく作業できるためで、例えば大型バックホウでは8人分のオペレーターの人件費を1人に圧縮することで建設費用の低減に資する。 さらに機械の大型化は工期の短縮にも寄与し、この点でもコストが削減された。 一方で橋梁の場合は、プレキャストセグメント工法や鋼とコンクリートの複合構造、ストラット付PC箱桁の採用などでコスト節減に取り組むこととした。 以下、構造物について、コスト低減面から見た代表的な構造を各々解説する。 個々のトンネル、橋梁の技術的な解説はを参照されたい。 トンネル [ ] 従来型の2車線断面トンネルと新東名の3車線扁平大断面トンネルとの比較図。 大断面化を防ぐために高さを抑えた扁平形状を採用。 トンネルを覆う吹き付けコンクリートと覆工コンクリートの厚さを抑えたのも大断面化を防ぐためで、標準的な2車線トンネルの0. 6 mに対して新東名は0. 55 mしかない。 新東名・新名神を問わず上記の理由からトンネル長は全て5,000 m未満で建設されている。 トンネル断面は、従来のトンネル入口が心理的圧迫となってスピードダウンを促し渋滞発生が問題化していたことから、大断面化することで心理的問題を解消している。 なお、他高速道路のトンネルは、路肩については縮小を認めていることから2 mの縮小で建設されているが 、これに対して新東名では路肩の縮小はせず、原則3. 25 mの「望ましい幅員」を維持することとした。 ただし、後に1996年(平成8年)4月の構造基準の一部改正によって、左側路肩を3. 25 mから2. 5 mに、右側(追越車線側)路肩を2 mから1. 5 mに縮小されたものの 、依然として大断面であることに変わりはない。 当初計画より若干縮小されたとはいえ、必要十分の路肩は確保されており、東名では故障車がトンネル内で停車できるスペースは非常駐車帯に限られていたが、新東名(静岡県区間)ではどこでも路肩駐車する余裕がある。 だが、ここまでの大断面である場合、従来の2車線トンネルの断面(80平方メートル)を幅広の新東名に応用すると、掘削断面積は200平方メートルを超えてしまう。 これではコストがかかりすぎることから、公団は道路幅員は維持したままでトンネル断面を縮小することとして、その結果考案されたのがトンネル高さを抑えた扁平形状である。 これにより、幅は広げるも高さは抑えて断面の大幅な拡大を防いだ。 とはいえ、掘削断面積は約180平方メートル、東名の2倍強である。 こうした大断面の穴自体は希少ではなく、良好な岩盤の下に建設された地下発電所や石油備蓄施設の例がある。 しかし、1,000 m単位の長さを持つ道路トンネルなどの構造物では掘削実績は皆無に等しいとされた。 そこで、この扁平大断面トンネルの掘削にあたっては、特に1,000 m以上の長大トンネルの場合 、経済性向上と施工性向上の観点から 掘削で使われた「」(略称:TBM)を導入して直径5 mの穴(先進導坑)を掘り進み、後工程でによる発破と NATM により大断面に拡大する方法を採用した。 先進導坑の直径を5 mとしたのは、大きすぎると高コストとなり、小さすぎると人が入っての作業性が悪くなるためである。 一方で短距離のトンネルの場合、TBMはコスト面で不利となることから、上半先進工法を採用した。 その他、状況に応じて様々な掘削工法が採用された。 片側3車線トンネルの掘削は日本初であり 、その掘削実績は日本道路公団にはないことから、まず清水第三トンネル(供用後名称は和田島トンネル )を試験的工事として位置付け、ここでの掘削実績をそれ以降の工事に応用、展開することとした。 大断面となった静岡県区間の場合、清水第三トンネル(1996年8月着手 )を皮切りに、最終の2009年(平成21年)9月の島田第一トンネル(供用後名称は大草トンネル )の本坑貫通まで13年の歳月が費やされた。 なお、トンネルの掘削で発生した残土は、付近の土地改良事業に活用するか 、沿線のパーキングエリアの盛土に使うなどして土砂処理の難題を解決している。 清水第三トンネルの工事が他の工区に先駆けて進捗した要因も、この付近で行なわれた茶畑の土地改良事業に工事から出る大量の土砂を必要としたからであった。 橋梁 [ ] 画像左 : 伊勢湾岸自動車道の飛島高架橋。 右側が1985年開通、左側が1998年開通。 右側の古いタイプは主桁間隔を約3 m、本数を7本としたが、左側では間隔を倍にして主桁本数を3本に減らした。 画像右 : 伊勢湾岸自動車道で先行した鋼少数主桁を新東名ではさらに改良して採用。 画像は藁科川橋で、主桁は2本に減らされ、主桁間隔は11 mに拡大された。 時代の変遷により工法が大きく進化していることがわかる。 新東名として最初に着工した静岡県区間(御殿場JCT - 三ヶ日JCT間)の橋梁延長は上下線を合わせて102. 8 km、全体の32パーセントを占める。 そして全てにおいて片側3車線、幅員16. 5 mと大規模な橋梁となることで、その橋梁延長とも相まって高コストとなることが予想された。 建設にあたっては、従来式の片側2車線の工法を3車線に応用するだけでは上部工の幅が広くなることで重量が増し、それに伴って下部工(基礎、橋脚)も大規模となってコストが増す。 よって、橋梁のコスト低減を図るには、上部工の重量を軽減することが必要となる。 以下に挙げると PC の複合構造、ならびにストラット付きPC箱桁橋の採用は新東名におけるコスト削減の要請を反映したものであるが、これに伊勢湾岸自動車道の建設で先行したプレキャストセグメント工法を併用することで工期短縮も実現している。 従来の橋梁は「PC橋」あるいは「鋼橋」というように、素材を棲み分けて建設されたが、1990年代以降は両者を融合した橋梁が出現した。 その狙いは、重量軽減(鋼板は鉄筋コンクリートよりも軽い)による下部構造の縮小が可能となることで建設費が低減されること、および、PC箱桁の側面(ウエブ)が鋼に置き換わることで、配筋の手間が省略されることによる工期短縮(人件費低減)である。 このPC箱桁と鋼を融合した橋梁は1980年代にフランスで開発され、日本道路公団としてはの本谷橋で初採用した。 以降、建設コスト縮減を標榜する新東名の建設でも積極的に採用された。 有効幅員16. 5 m(道路規格第1種第1級における片側3車線)の橋梁を建設する場合、従来の片側2車線断面の形式をそのまま3車線断面化すると箱桁が大規模化して2室箱桁とならざるを得ない。 その結果として重量が増して下床板の幅も拡大し、それを支える橋脚と基礎構造も勢い大規模化することでコストが増す。 そこでストラットを上部工に組み込むことで箱桁に替わって上床板(張り出し床板)を支え、結果的に箱桁断面が縮小されて主桁重量が軽減される。 これにより下床板幅が縮小され、橋脚や基礎も縮小化されてコストが低減される。 これによって上部工の重量軽減を実現し、その結果として上部工を支える橋脚や基礎が縮小されることで建設コストの縮減に寄与した。 コンクリート橋におけるストラット箱桁の採用は、日本国内では新東名が最初である。 山岳区間が多くを占める新東名では、橋脚が高くなってコスト上昇に至る問題があることから、公団はコスト縮減のための調査の一環として1993年(平成5年)に海外視察を行なった。 このとき公団職員の目に止まったのは、ドイツやフランス、の高架橋において、ストラットを多用して箱桁や下部工(橋脚、基礎)の断面を縮小した橋梁群であった。 公団はこれを新東名にも生かすべく、特に急斜面に高層で建設される芝川高架橋(新富士IC - 新清水IC間)に真っ先に応用した。 なお、ストラットの発想自体は昔からあったとされるが、それを生かせるだけの条件、すなわち、高い橋脚、幅広の道路のニーズがこれまでは無かったために採用には至らなかったとされる。 ストラット式の採用により、橋脚の幅は従来は12. 6 m必要なところが7 mまで縮小され、橋全体で15パーセントのコスト縮減を実現した。 コストカットの手法は鋼橋における主桁本数の削減ともなって現れた。 1990年代までの鋼橋におけるコスト削減の手法は、鋼材重量を軽減することに主眼が置かれていた。 しかし、人件費の高騰で、鋼材の使用量よりも施工の手間を省くことがコスト削減に結びつくようになった。 桁橋において、例えば橋軸直角方向(橋軸方向は車の進行方向、橋軸直角方向は橋軸方向と比較して直角)で主桁本数を4本から2本に削減した場合、鋼材重量はほぼ同一ながら使用する部材の数は半減し、加工や溶接の手間が大幅に減ることで、建設コストは1割程度安くなる。 加えて塗装面積も4割減ることから、メンテナンスコストの削減にも与する。 主桁本数を削減出来るようになったきっかけは1996年における道路橋示方書の改訂であった。 使用できる鋼板の厚さが50 mmから倍の100 mmへと変更され、大きな荷重を支持できるようになった。 加えて主桁の上に載る床板の技術開発も鍵となった。 片側3車線、幅広の路肩を有する床板を支える主桁が2本というのは以前では考えられなかったが、これはプレストレスト・コンクリート床板の開発による強度向上の恩恵である。 この鋼少数主桁の先駆けはのホロナイ川橋による2主桁橋梁で、これを応用して伊勢湾岸自動車道では3主桁橋の実現へと引き継がれ、新東名ではさらに発展させて2本化した。 3本から2本へ削減するにあたっては、ドイツやフランスで同規模の鋼2主桁橋の施工例があり、これを参考とした。 なかでも、床板下部をアーチ形状に曲線化する手法が取り入れられ、これを新東名全体に応用するに当たって、そのパイロット(試験的)工事として藁科川橋が選定された。 新東名、新名神を象徴する光景の一つに、山岳区間のコンクリート製橋脚がある。 新東名の道路の勾配は標準2パーセントであるが、これを山岳部で実現しようとした場合、谷の通過では必然的に橋脚を高くして、出来るだけ道路を水平に保つことが必要となる。 逆に橋脚を低くすればそれだけ勾配がきつくなることでが発生し、渋滞発生の温床となる。 このことから新東名の山岳区間では場所によっては高さ80 m程度の高い橋脚が建設されている。 ただし、これだけの高い橋脚を施工するにあたっては従来の工法ではクラスの大地震に耐えるためには大量の鉄筋が必要とされ、施工性の低下とコスト高、工期の延伸を招く恐れがある。 このため、直径1. 3 mの太い鋼管を縦方向に何本も建て込み、その周りに鉄筋をらせん状に巡らせてからコンクリートを打設する「鋼管・コンクリート複合構造橋脚」が採用された。 これにより高い耐震性と作業省略化を両立させている。 この構造は河川に架かるやでも採用された。 新東名は東名の代替ルートの性格を持ち、併せて大災害発生時の緊急の輸送路としての機能が求められている。 よって新東名の大部分を構成する橋梁群は、新東名のそうした使命である防災、減災の観点から耐震性を考慮した構造とされている。 先述した鋼とコンクリートの複合構造およびストラット構造による軽量化は、コスト低減と併せて橋梁全体の死荷重(橋梁のみの荷重、自動車の重量を含まない)を低減することで耐震性向上に与することになった。 山切1号高架橋。 内牧高架橋と異なってセグメントは箱桁とリブ、ストラットを1セットとしている。 床板は後施工としたことで架設に要する設備の規模縮小を図った。 路面 [ ] 新東名の土工区間における路面のは、表面のの下に鉄筋コンクリート版を施工したコンポジット舗装を採用している。 これまでのアスファルト舗装では繰り返し通過する自動車の荷重によってアスファルトが変形(わだち掘れ)し、維持管理に難点があった。 特に新東名は大型貨物車が交通量全体の50パーセントに達すると見込まれ、この点から変形しにくい高耐久の路面が望まれた。 アスファルト舗装は走行性がよく、打ち替えも容易であることから維持管理には適しているが変形も早い。 一方で鉄筋コンクリート舗装は維持管理や走行性には劣るが高い耐久力を発揮する。 コンポジット舗装はこの両者のよいところを引き出したものである。 高速道路におけるコンポジット舗装の採用は1990年(平成2年)11月開通のの - 間が初めてで、この時は試験的意味から採用された。 その後、など調査区間を広げ 、2000年代に入ってからは伊勢湾岸自動車道の - 間でも採用されたが、この時に至ってもまだ試験的な意味合いが強かった。 だが、新東名では満を持して土工区間における標準構造としてコンポジット舗装が採用され、標準としての採用はこれが初めてとなった。 同舗装の採用によって、補修の頻度が低下して維持管理費が低減し、併せて補修により発生するアスファルト廃材の低減と、補修に伴う車線規制によって利用者へのサービスレベルダウンを抑制することにもつながるとされる。 ただし、軟弱地盤上の土工区間では重いコンポジット舗装では路床面の沈下の恐れがあることから、従来のアスファルト舗装で対応している。 トンネルと橋梁の数 区間 トンネル 橋梁 上り線 下り線 上り線 下り線 本線 海老名南JCT - 御殿場JCT 不明 不明 不明 不明 御殿場JCT - 長泉沼津IC 5 5 不明 不明 長泉沼津IC - 新富士IC 1 1 15 15 新富士IC - 新清水IC 3 3 9 14 新清水IC - 新清水JCT 3 3 11 10 新清水JCT - 新静岡IC 2 2 9 9 新静岡IC - 藤枝岡部IC 6 6 17 16 藤枝岡部IC - 島田金谷IC 6 6 13 14 島田金谷IC - 森掛川IC 5 4 13 8 森掛川IC - 浜松浜北IC 0 0 30 30 浜松浜北IC - 浜松いなさJCT 2 2 14 14 浜松いなさJCT - 新城IC 2 2 12 11 新城IC - 岡崎東IC 11 11 15 16 岡崎東IC - 豊田東JCT 4 4 11 11 本線(御殿場JCT - 豊田東JCT間)累計 50 49 169 以上 168 以上 (参考)東名高速 御殿場JCT - 豊田JCT 9 9 清水連絡路 清水JCT - 新清水JCT 0 0 6 6 引佐連絡路 浜松いなさJCT - 浜松いなさIC 0 0 2 2 浜松いなさIC - 三ヶ日JCT 2 2 5 6 (御殿場JCT - 三ヶ日JCT間のトンネル数の典拠 :『土木施工』2012年4月、56頁、浜松いなさJCT - 豊田東JCT間の典拠:『プレストレストコンクリート』2015年11月12日、74-81頁、東名の典拠:『東名高速道路』池上雅夫、中公新書、1969年、131頁) 道路付属物 [ ] 新東名のキロポスト。 100 m間隔で道路脇に設置している。 新東名上に設置されているの光源はすべての区間でが採用されている。 従来はトンネル内部の一部でやが用いられてきたが、技術革新による高出力LEDの開発によってトンネル内部のすべての区間でLEDランプの採用が可能となった。 また、トンネル内部で前方を走る車両(先行車)を見やすくするよう「プロビーム照明方法」(走行する車両に向けて照射する照明方法)が使われている。 新東名では東名とのダブルネットワークを形成することから、利用者がどちらを走行するかの判断を支援する目的から情報設備のグレードを向上させている。 なかでもは従来の赤色・緑色・橙色の3色のみのものではなく、赤色・緑色・青色・黄色・マゼンタ・シアン・白色の7色のものを用いたマルチカラー情報板によって判読性の向上 および多くの情報量を提供している。 また、新東名ではきめ細やかな情報提供を行うため、1 kmごとに「路側情報板」が設置されており、情報の隔絶化を防いでいる。 こうした路側情報板の設置により、工事規制時に規制標識の本数を減らすことができ、高速道路上での作業時にかかる負担を削減している。 新東名では濃霧の発生が報告されており、明かり部(トンネル以外の区間)の多くの区間では「視線誘導灯」を設置している。 視線誘導灯は視程計の観測によって自動的に作動するシステムになっている。 一方で、「視線誘導灯」と同じ筐体のものを常時作動させ、を利用した速度抑制や速度回復を促す発光体も設置されている。 新東名のトンネルでは、を広域監視タイプとして、設置間隔を50 mとしている。 これは従来の設置間隔の2倍である。 また、消火設備の保守点検を効率的にできるように、放水試験の簡素化やホースの収納時間短縮が期待できるメンテナンス弁の設置、消火設備収納施設の扉の透明化などが行われている。 路肩には距離標(キロポスト)が100 m間隔で設置されている。 キロポストは高速道路等の維持管理・補修・改良等を適切、迅速に行なうことの他に、道路利用者に自己の存在位置を知らしめるために設置され、事故や故障の暁にはこの標識に基づいて援助、処理の対応を行なう。 なお、0. 0キロポストは首都圏中央連絡自動車道(圏央道)との接続点である海老名南JCTである。 交通量 [ ] 24時間交通量(台) 区間 平成27(2015)年度 海老名南JCT - 厚木南IC 調査当時未開通 厚木南IC - 伊勢原JCT 御殿場JCT - 長泉沼津IC 41,877 長泉沼津IC - 新富士IC 45,620 新富士IC - 新清水IC 45,222 新清水IC - 新清水JCT 48,378 新清水JCT - 清水いはらIC 09,433 清水いはらIC - 清水JCT 09,179 新清水JCT - 新静岡IC 44,689 新静岡IC - 静岡SASIC 43,534 静岡SASIC - 藤枝岡部IC 43,852 藤枝岡部IC - 島田金谷IC 42,702 島田金谷IC - 森掛川IC 42,268 森掛川IC - 遠州森町PASIC 42,092 遠州森町PASIC - 浜松浜北IC 42,122 浜松浜北IC - 浜松SASIC 40,450 浜松SASIC - 浜松いなさJCT 40,145 浜松いなさJCT - 浜松いなさIC 40,101 浜松いなさIC - 三ヶ日JCT 40,482 浜松いなさJCT - 新城IC 調査当時未開通 新城IC - 岡崎東IC 岡崎東IC - 豊田東JCT (出典:「」(ホームページ)より一部データを抜粋して作成) なお2016年に開通した愛知県区間(浜松いなさJCT - 豊田東JCT)の通行量の速報値は、平日で約43,000台、休日で約47,000台。 渋滞 [ ] 鉄道ライター・イラストレーターのは、2016年2月の浜松いなさJCT - 豊田東JCT間の開通により、(御殿場JCT - 豊田東JCT間の)所要時間は60分の大幅短縮の試算発表を公開し評価している一方 、モータージャーナリストのは、東京都 - 海老名南JCT間の見通しが立たないままでの新東名の更なる延伸により以降、御殿場JCT・海老名南JCTそしてにおいて、交通交錯の可能性について述べている。 道路管理者 [ ]• (NEXCO中日本)• 御殿場保全・サービスセンター: 御殿場JCT - 長泉沼津IC• 富士保全・サービスセンター : 長泉沼津IC - 新静岡IC、清水連絡路• 中日本高速道路• 新清水JCT - 新静岡IC間に位置する猿田川橋と巴川橋。 静岡市街から一望できる場所にあるこの橋は、竜爪山の麓に位置し、山岳地形に溶け込む橋梁形式が求められた。 このことから、通常はコンクリートである箱桁側面を透過性のあるトラスに置き換えた。 新東名では通過する地域の状況に応じて景観面の検討を行なった。 この内、新清水JCT - 新静岡IC間に建設された猿田川橋、巴川橋は、土工区間60 mを挟んで隣り合っており、その延長は1. 1 kmに及ぶ。 この両橋梁は静岡市中心部から一望できるの麓に位置することから、風景に溶け込ませる必要があった。 このことから、透過性を重視して高速道路としては初のPC複合トラス構造が採用された。 箱桁の側面(ウエブ)をコンクリートからトラスに置き換えることで、橋の向こう側の風景が透けて見えることを狙っている。 この透過性によって圧迫感の少ない景観の創出を行なった。 新東名では最も高い橋梁となる新佐奈川橋(愛知県岡崎市)は、高橋脚橋梁の優美さを引き出すための意匠的配慮を行なった。 橋脚断面中央にスリットを入れ、なおかつ断面形状を八角形としたことで陰影効果をもたらし、圧迫感の軽減と優美さを表現した。 なお、配水管は橋脚のシルエットを引き立たせるためにスリットに格納している。 愛知県新城市のを横断する長篠城大橋では、現場付近がのに近く、からはこの大橋が目に入ることから、それを考慮した検討を行なった。 その結果、付近の自然風景との調和および、景観の質を高める色調、中世の戦いの地として歴史を感じさせる色として、長篠城の瓦をイメージさせる黒色系を橋梁の波形鋼板の塗装に採用した。 なお、通常は波形鋼板の色はコンクリートに合わせたグレー系を採用している。 浜松SA - 浜松いなさJCTに敷設された大平(おいだいら)高架橋は付近に果樹園が広がる緑豊かな丘陵地帯に建設されることから、相応の景観的配慮を行なった。 橋脚の高さ、桁の高さ、支間長(橋脚の間隔)をバランスさせることで風景との調和を図った。 特に支間長は64 m、これを13径間設け(つまり橋脚は12基)、橋脚高さを40 mとした。 一見無造作に造ったかのように見える高架橋も、このように景観との調和を考慮して設計されている。 岡崎東IC付近に位置する桜井寺橋は三河の里山を通過することから、周辺環境との調和を図るために風土色を抽出したのち、でカラーシミュレーションを行ない、有識者を交えた現地確認を行なった上で最終的な色(濃緑色)を選定した。 自然性豊かな区域を通過する場合、建設時に樹木のを採取し、予めで苗木を育てて「地域性苗木」として高速道路ののり面などに植える取り組みが既に全国で展開されている。 によるの錯乱を防止し、地域の生態系・種・遺伝子のレベルでのを保護するために新東名でも積極的に同様の取り組みが行われている。 竹割り型土留め工法 [ ] 竹割り型土留め工法。 地形改変面積を縮小することで森林伐採範囲を縮小して環境負荷の低減を図っている。 画像左 : 芝川高架橋の竹割り型土留め工法。 画像右 : 宍原第一高架橋の同工法。 新東名は急峻な山間部を貫く区間もあることから、それに伴う環境的配慮を行なった。 山間部に建設される橋脚の基礎の構築において、従来は山肌の斜面を平坦にして、その上で地面を掘削する工法が主流であった。 しかし、これでは特に急斜面の場合、掘削範囲が大規模化して地山の緩みや自然環境に与える影響も大きい。 さらに完成後の維持管理に要する負担も大きいことから、新たな基礎部分の掘削方法を開発したが、これが竹割り型土留め工法である。 その築造方法は、斜面の形状に合わせて型枠をリング状に組み、それを吹きつけコンクリートで覆ってリングビームを築造する。 それをガイドとしてロックボルトと吹きつけコンクリートで地山を補強しながら垂直方向に掘削してコンクリート壁を下方に延伸するものである。 浜松サービスエリアに併設されたヘリポート(画面右側)。 日本は地震国であると共に山岳、積雪地帯が多く、加えて台風の通過も多々あることから、それに伴う津波、高潮、崖崩れ、豪雪等の自然災害にさらされやすいという特徴をもっている。 高速自動車国道をはじめとした幹線道路はこうした自然災害に強い構造をもっているため、自然災害発生時には物資の緊急輸送路としての性格も併せ持っている。 これについてはで1982年(昭和57年)7月に発生した集中豪雨により大規模災害が発生し、その際に幹線道路が被災地域の復旧に多大な貢献をしたという事例があった。 今回の豪雨が去ってのちの救援活動が交通路の混乱によって意外にはかどらなかった結果 、災害発生の2日後には45万人が孤立して長崎が陸の孤島と化し、外部からの救援物資がほとんど届かない事態に陥った。 これにより野菜の入荷が途絶え、中央市場の在庫が底をついて価格が軒並み高騰するなど市民生活に大きな影響が出た。 そして4日目に至り主要幹線道路が緊急物資の輸送に限って通行可能とされた。 新聞はこれを「待望の生活道路の開通」と書き立てたが、これは幹線道路の隠された本質を的確に言い表しており、平常時では決して見えない、こうした異常事態になって初めて幹線道路が実は最も根幹となる生活道路であることが証明された事例であった。 新東名も異常時の緊急輸送路、避難路としての使命を帯びており 、その一環として新東名の休憩施設にや設備、一般道からの出入りに対応する緊急開口部、防災拡声放送装置、装置を設置している。 また、一部の休憩施設ではを利用できるよう設備の設置が行われている。 ヘリポートは災害発生時のみならず、高速道路上や周辺地域での事故の際にも活用され、による救急医療活動への貢献を目的としている。 また、防災への備えを強化するために東部・中部方面隊やと防災に関する協定を結んでいる。 なお、2013年(平成25年)2月には、静岡県によって大規模災害時における孤立地域への緊急物資搬入等の航空受援訓練のために、駿河湾沼津SAが訓練場所として活用された。 当日は静岡県警航空隊や自衛隊、のヘリコプターが参加して発着訓練を行なった。 実際に災害発生において新東名が活用された事例としては、(21年)に発生したで東名高速道路の一部区間が通行止となったことから、の混雑緩和のために、9時から16時まで、(静岡県牛尾 - 同市相賀間)の上り線(約1. 3 )を普通車・小型車のみ緊急に供用している。 また、(平成23年)に発生した、()の際にが発表されたことにより、それぞれ海に面する由比海岸付近が通行止となった東名高速道路と国道1号の代替道路として、工事中の新東名が緊急車両のみ通行可能となったこともある。 その他 [ ] 海老名南JCT以東 [ ] 整備計画区間における起点の海老名南JCT付近。 画像左 : 住宅街に囲まれた更地である東京方面の本線建設用地最東端からジャンクションを望む。 これより東(画像手前)の区間は基本計画以下にとどまっている。 画像右 : 海老名南JCTに連結する相模川橋。 橋脚は将来の拡幅が困難であることから完成形の片側3車線とランプ部を含めた仕様であるが 、その先の横浜、東京方面に延伸する目処は立っていない。 海老名南JCTより東側は横浜市までが基本計画路線、それ以東は青写真である予定路線である。 かつて建設省は第二東名の東京側をできればに接続させ、その手前でに、横浜寄りでは(圏央道)に接続させたいと意思表明していた。 この内、実現しているのは圏央道(海老名南JCT接続)のみである。 新東名の東京側の計画を推進するにはまず、受け皿となる道路の整備が必要とされ、それがないと新東名を都心に延長しても大渋滞を引き起こすと推測されている。 なお、横浜市内ではの計画が推進されており、この内の西側ルートについて横浜市は、新東名のルートとして利用するよう求めてきたが、確定していない。 利用道路の選択 [ ] 利用者は任意で東名、新東名の通行を選択できる。 新東名は東名よりも若干距離が短いうえに 、新東名の曲線半径と勾配は東名よりも改善されていることから、特に長距離走行の自動車および、荷物を積んだ非力な大型トラックの場合は、新東名の走行が適しているとされる。 かつて新東名がまだ計画段階にあった頃、東名と新東名の棲み分けについて様々な議論があって、その一例として、新幹線になぞらえて東名を「」、新東名(当時は第二東名)を「」にたとえて、両者を機能分担するべきであるという議論があった。 根拠としては、新東名の方が走行速度が高く、インターチェンジ間隔も長いことで長距離の自動車専用道路としてうってつけと言うのである。 また、長距離、短距離の別ではなく、乗用車と貨物車両(トラック)の別に分ける方が適正であるという意見もあった。 これについて建設省と日本道路公団は、以下の理由から役割分担を否定してあくまで混合運用に徹するという見解を出した。 まず、東名の利用実態から、利用する曜日や時間帯によって乗用車とトラックの交通量が大きく変動し、昼は乗用車、夜は貨物車がそれぞれ卓越する。 そして平日は貨物利用が多く、休日は少ないというデータからも、利用交通の変動が大きいことが確認されており、もし両道路を機能分担してしまうと、時間帯や休日によって道路の利用効率が著しく変動して施設の有効利用がはかれない問題がある。 いまひとつは、事故や災害、補修工事に伴う交通規制における代替性を図るという意味からも、両道の機能を一本化しておく必要があるとしている。 周回走行の扱い [ ] 東名と新東名が連絡路で結ばれるという路線形態から、不正に大回りのうえ通行料金を安く抑えるという不正走行の事例が新東名開通直後から問題化した。 例えば、から東名に入って三ヶ日JCTおよび浜松いなさJCT折り返しでで流出して通行料金300円という事例である。 これにはサービスエリアが高機能化していることで、これらのSA巡りのために不正通行に至ることがあるとされるが、NEXCOでは不正通行については徴収金を加えて3倍額を請求するという規則がある。 基本的に2通りの経路がある場合は、実際の走行経路に関わらず短い経路の料金で徴収するが、実際の走行距離が最短経路の2倍を超える場合はその対象から外れ、距離に応じた支払いが必要となる。 不正通行の場合、所要時間が長すぎる場合はETCゲート通過時にバーが開かない等の対策および、ゲート以外にも不正走行を感知するシステムが構築されている。 NEXCOでは周回走行車は料金所で係員に申告することを要請している。 隊列走行 [ ] トラックドライバーの人手不足を解消するべく、自動運転技術を駆使して縦列に3台並んだトラックを1人が運転することを目標とする走行実験が2018年(平成30年)1月23日に新東名で行なわれた。 実験では約15 kmを走行、先頭車両のみ運転手がアクセルとブレーキを操作し、後続車を無線で制御した。 なお、後続車2台には運転手が乗車し、ハンドル操作のみ担当した。 2020年の実用化を目指すという。 この隊列走行のメリットは、人手不足解消の他に燃費改善がある。 トラックは高速走行すると空気抵抗が増大して燃費が悪化するため、隊列走行によって2台目以降は空気抵抗が小さくなることで、25トントラックが時速80キロ、車間距離4 mで走行すると、3台の平均で約15パーセントの燃費改善につながるとされている。 先述した静岡県内の新東名の全線6車線化の動きは、トラックのダブル連結や隊列走行を実施しやすくする意図も含まれている。 東海道物流新幹線構想 [ ] 新東名の中央分離帯を使って、東京 - 大阪間に貨物列車専用のを敷設する提言が2009年(平成21年)12月に「東海道物流新幹線構想委員会」(物流関係者や有識者で組織)よりなされた。 これにより約600 kmの距離を約6時間30分で結び、トラックの荷物を列車に載せ替えるほか、トラックそのものを列車に搭載するとしている。 その効果として、削減やトラックドライバーの人手不足の代替を担うことが見込まれているが、約2兆円とされる事業費をどう工面するかの道筋は立っていない。 メディアとの関係 [ ] NEXCO中日本協力のもと、開通前のでは、『』の撮影が行われていたり、他のトンネルや上で撮影も行われている。 他にも、 - 間の開通に合わせて、とによる共同製作プロジェクト「」が立ち上げられ、道路施設である・を擬人化したキャラクターが登場する異世界と、NEXCO中日本やドワンゴが登場する現実世界が入り混じった幻想的な世界観をベースとして、展開が進められている。 地理 [ ] 通過する自治体 [ ] 本線• 駿東郡• 富士市• 富士宮市• 清水連絡路• 静岡県• 静岡市• 清水区 引佐連絡路• 静岡県• 浜松市• 北区 通過予定の自治体 [ ] 本線• 足柄上郡 接続する高速道路 [ ]• C4 (で接続)• E1 (で接続)• (伊勢原大山ICで接続 : 計画中)• 厚木秦野道路(秦野ICで接続 : 計画中)• E1 東名高速道路(で接続)• E70 (長泉沼津ICで接続)• (新富士ICで接続)• E52 (で接続)• E1 東名高速道路(清水連絡路を経由してで接続)• (新静岡ICで接続)• E69 (で接続)• E1 東名高速道路(引佐連絡路を経由してで接続)• E1A (で直結)• C3 (豊田東JCTで接続) ギャラリー [ ]• 当初は2020年度(令和2年度)までに全通する予定だった。 上り線は53. 9KPまで。 下り線の入出路にはを設置予定。 予定価格とは落札する価格が不当に高くなることを防ぐために、役所が事前にこの額を超えれば落札できないと決めた価格のこと。 よって業者は予定価格を必死でリサーチしようとする。 落札額が予定価格に近いほど工事で得られる儲けが大きくなるからである。 このガイドポストはによるコスト削減に関わったの名を冠して「猪瀬ポール」と揶揄されているが、猪瀬自身は「僕が立てさせたわけじゃない」と反論している。 当初は2016年度開通予定だった。 新東名のみに限定すると(静岡県島田市) - (静岡県掛川市)間の市境にあるを貫通する(上り線4,520 m・下り線4,660 m)が最長のトンネルである。 出典 [ ]• 国土交通省. 2017年2月28日閲覧。 , pp. 18-19. , pp. 47-50. , p. , p. , p. , pp. 34-36. , p. 169. 『第二東名・名神高速道路 計画概要』日本道路公団、平成10年4月(蔵)• 日本経済新聞(東京): p. 2003年6月24日• 読売新聞(東京)朝刊: p. 2002年11月5日• 58-61. 日経新聞(静岡)朝刊: p. 2018年8月11日• 朝日新聞(東京)夕刊: p. 2017年9月28日• 朝日新聞(静岡・1地方)朝刊: p. 2017年11月2日• 産経新聞 2019年3月1日. 2019年3月1日閲覧。 中日本高速道路株式会社 2019年8月27日. 2019年8月27日閲覧。 , pp. 86-89. 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トラック隊列走行は、さらに安全で便利なトラック輸送の未来をつくる取り組みです。

新 東名 高速 で 行 われ て いる 実験 は

tags: , , , 1人の運転手が複数台のトラックを運行する実証実験が、新東名高速で始まります。 安全確保の観点から、各車両には運転手が乗車します。 各トラックには運転手が乗車 経済産業省と国土交通省は2019年1月8日(火)、後続車の無人運転システムを用いたトラック隊列走行の実習実験を、新東名高速で行うと発表しました。 期間は1月22日(火)から2月28日(木)までです。 安全確保の観点から、各トラックにはテストコースで経験を積んだ運転手が乗車します。 トラック隊列走行の「無人」システム概要(画像:国土交通省)。 国土交通省と経済産業省は、2018年6月に閣議決定した「未来投資戦略2018」に基づき、その取り組みのひとつであるトラック隊列走行について、2020年に新東名高速で後続車を無人にして実現し、2022年に商業化することを目指しています。 これまで公道では、「有人」システムを用いて実証実験が重ねられてきましたが、今回は「無人」システムを用いた実験を実施。 両省によると、先行車に追従して車線変更する機能を搭載したトラックによる公道実証は、国内初としています。 計画されている隊列走行では、通信などで車両を接続する「電子的な連結」により、1人の運転手が複数台のトラックを運行します。 これにより、運転手不足対策への貢献や、短い車間距離による後続車の空気抵抗低減などが期待できるといいます。 後続車は通信で先行車の制御情報を受信し、自動で加減速を行いながら車間距離をキープ。 さらに先行車を追従し、車線の維持や変更も行います。 また、後続車の後方に取り付けたカメラ画像などを先頭車に表示し、先頭車が車線変更する際の運転手の視界を支援します。 今回の実証実験では、無人システムの実現に必要な各機能を確認するとともに、隊列の周りを走る車両からどのように認識されるか、どのような印象か、隊列が周囲の車両走行にどのような影響を及ぼすか、といったことなどが検証される予定です。 【了】.

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